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黒田孝高の馬ケ岳入城

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天正十四年(一五八六)十月十日以前に、まず長野統重が秋月氏と手を切って京方に寝返り、人質を出し、馬ケ岳へ上方勢を入れることに同意した。続いて、山田・中八屋・広津鎮種・時枝鎮継・宮成吉左衛門らが、ぞくぞくと人質を差し出してきた。ただちに、中国勢をこれらの城々へ送りこんだ。彼らは長年、毛利氏と昵懇(じっこん)の関係にあり、竜造寺氏が寝返り、島津軍が退去した段階で、上方勢に抵抗することの無駄を悟ったのである。秀吉は彼らには当知行(とうちぎょう)を安堵した(『時枝文書』)。