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目次
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第五編 近世
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第二章 桃山時代
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第一節 豊臣秀吉の下向
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二 上方勢の豊前諸城の攻略
宇留津城潰滅
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十一月七日、中国勢は宇留津城を包囲し、「即時に切崩し」、城将加来孫兵衛以下千余人を討ち滅ぼした(第1図参照)。男女残らず「はた物」にかけられ、秀吉は「心知よき次第に候」と黒田ら中国勢へ書き送っている。
第1図 宇留津城跡 (椎田町)
十一月十五日、障子ケ岳城(勝山町)を攻略した(第2図参照)。城番は抵抗することもなく、夜闇にまぎれて下城したが途中で多数の者が討ち取られた(『小早川文書』)。
第2図 障子ケ岳 (勝山町)