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目次
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第五編 近世
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第二章 桃山時代
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第一節 豊臣秀吉の下向
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二 上方勢の豊前諸城の攻略
秀吉馬ケ岳城入城
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三月朔日、京都を出発した秀吉は、ゆったりと神社仏閣に参詣しながら西下し、三月二十八日、小倉城へ入り、翌日には馬ケ岳に入城した。
秀吉はここで軍勢を分け、弟の大和大納言秀長に中国・四国などの勢八万余を添えて日豊路を日向へ下り、秀吉自身は畿内の勢を中心とする一〇万余を率いて、田川郡から筑前へ入り、肥後へ向かうことにした。
彦山座主舜有は、かねて吉川氏などに降伏の仲介を頼んでいたが、年が改まってからは、一切これを受けつけられず、この日、使者をもって降伏を願い出たが赦されなかった。
秀吉の花押と朱印