四月朔日、秀吉は伊田原に陣を進め、秋月氏の家臣熊井越中守が籠城する岩石城を細川忠興・前田利家らに命じて、一息に攻略させた(第4図参照)。この城は、前年暮れより大兵をもって包囲し、秀吉の動座を待って、その眼前で猛攻して、上方勢のすごさを見せ、九州の田舎武士たちへの見懲(みこら)しめとした。この城攻めの様子は、すぐ秋月種実の籠城軍にも聞こえ、種実も、秀吉軍が城下へ到着する前に、頭を丸めて、秘宝「楢柴」を捧げて命乞いし、命だけは赦された。秀吉は、あまり多くの犠牲の出ない小城を強攻して皆殺しさせ、上方勢の威力を誇示し、周辺を威圧するという手法を、このころは得意としていた。
第4図岩石山 (添田町)