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九州分目(わけめ)

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六月七日、箱崎八幡宮まで戻ってきた秀吉は、二〇日余り、ここにとどまり、博多の町割りをし、バテレン追放令を出し、筑前国以下の仕置きを行った。すなわち、小早川隆景に筑前一国と肥前・筑後に二郡ずつを与え、秋月種実の子種長に日向財部三万石、立花統虎に下筑後三郡、討ち死にした高橋紹運の子統増(むねます)に筑後三池郡を与え、筑前のそれぞれの旧領を明け渡させた。
 香春岳に拠(よ)った高橋元種は日向国の県(あがた)(延岡市)へ移した。七月三日、赤間関へ渡海したあと、秀吉は豊前の仕置きを発表し、八郡の内、京都・仲津・築城・上毛・下毛・宇佐の六郡を黒田孝高に、企救・田河二郡は毛利壱岐守吉成に与えた。ただし、妙見岳・竜王両城知行分は秀吉蔵入地として除かれた。