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文禄の役と黒田長政の活躍

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天正十九年(一五九一)、黒田長政は秀吉に命ぜられて、朝鮮渡海のため中津川で兵船を準備し、船頭・舵取・水手(かこ)などを徴して、翌文禄元年(一五九二)三月朔日より、肥前名護屋へ集結した。長政は軍役として五〇〇〇人の動員を割り当てられた。
 黒田孝高は三年前に隠居していたが、名護屋にとどまり、軍の評定に加えられた。
 黒田長政軍は、金海口に上陸し、小西行長軍の跡を追い、わずか一四日で京城に入った。途中、小西軍が攻めなかった沿道の城砦を攻略しながら進軍した。
 小西行長が平壌まで進撃したため、黒田軍や大友軍は一日の行程ごとに繫(つな)ぎの城砦を構え、補給連絡路の維持に当たった。