同年九月、関ケ原の戦で覇権を確立した家康は、その戦後処理として豊臣系外様(とざま)大名の改易(かいえき)・転封(てんぽう)を強行した。豊前の規矩(きく)・田川の二郡を領有し、小倉城にいた毛利勝信は、西軍方に属したため、十月三日に除封となり、子の勝永とともに土佐に流された。豊前六郡を領有し、中津城にいた黒田長政は東軍方に属して活躍したため、筑前一国五〇万二〇〇〇石を与えられ、十二月十一日、父孝高(よしたか)(如水)とともに名島城(現福岡市東区名島)にはいり、そして、同七年(一六〇二)、築城なった福岡城に移った。
毛利の除封、黒田の転封のあとに、旧領の豊後国速見郡・木付廻六万石に、新たに豊前一国(規矩(きく)・京都(みやこ)・田川・築城(ついき)・仲津(なかつ)・上毛(こうげ)・下毛(しもげ)・宇佐)と豊後国国東(くにざき)郡とを合わせた三〇万石(実高三九万九五九九石六斗)の領主として、慶長五年十二月二十六日、細川忠興が、子の忠利とともに、丹後宮津から豊前中津に入封(にゅうほう)した。細川氏は、三河国細川が本貫であり、室町幕府管領(かんれい)の一族である。忠興の正室は、明智光秀の娘で、名を玉子といい、ガラシャという洗礼名をもつ敬虔なキリシタンであることはあまりにも有名である(第1表参照)。
第1表 小倉・香春・豊津藩主一覧 |
藩 主 | 生没年月日 | 在任期間 | 在 封 年 | 官名 | 幼名・通称 | 法号 | 石高変遷 年月日 | 石高 (表商) | 領地(国郡名) |
1.細川忠興 (ただおき) | 永禄 6.11.13 正保 2.12. 2 | 慶長 5.12.26 元和 6.閏12.25 | 20 | 越中守 侍 従 少 将 左少将 | 熊千代 長岡與一郎 三斎宗立 | 三斎宗 立 松向寺 | 慶長 5.12.26 | 300000 | 豊前国一国 豊後国の内国東郡・速見郡の内 |
2. 忠利 (ただとし) | 天正14.10.11 寛永18. 3.17 | 元和 7. 寛永 9.10. 4 | 11 | 越中守 侍 従 左少将 | 光 内記 | 台雲宗 伍 妙解院 | 〃 | 〃 | |
1.小笠原忠真 (ただざね) | 慶長 1. 2.28 寛文 7.10.18 | 寛永 9.10.11 寛文 7.10.18 | 35 | 侍 従 右近将監 | 春松丸 大学 | 徳叟紹 勲 福聚寺 | 寛永 9.12. 7 | 150000 | 豊前国企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡と上毛郡の内 |
2. 忠雄 (ただたか) | 正保 4. 5.20 享保10. 6.28 | 寛文 7.12.10 享保10. 6.28 | 58 | 遠江守 侍 従 右近将監 | 万松丸 弾正 | 暁山紹 栄 静照院 | 〃 | 〃 | |
3. 忠基 (ただもと) | 天和 2. 7. 4 宝暦 2. 2. 5 | 享保10. 8.13 宝暦 2. 2. 5 | 27 | 遠江守 侍 従 右近将監 | 豊松丸 織部 | 良巌際 仁 洪済寺 | 〃 | 寛保2.12より延享4.10の間、豊後国速見郡・国東郡・玖珠郡の内で32000石余を預かる | |
4. 忠總 (ただふさ) | 享保12. 8.22 寛政 2.11. 8 | 宝暦 2. 3.21 寛政 2.11. 8 | 38 | 伊予守 侍 従 左近大夫 兵部大輔 | 政之助 只次郎 | 真乗道 圓 諦観院 | 〃 | 豊前国企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡と上毛郡の内 | |
5. 忠苗 (ただみつ) | 延享 3. 9.24 文化 5. 2.18 | 寛政 3. 1.29 文化 1. 7.20 | 13 | 伊予守 侍 従 右近将監 | 保三郎 長浮 | 寛叟維 信 浄国寺 | 〃 | 〃 | |
6. 忠固 (ただかた) | 明和 7. 9. 4 天保14. 7.18 | 文化 1. 7.20 天保14. 7.18 | 39 | 伊予守 侍 従 少 将 | 亀吉 彦五郎 | 仁沢宗 瑧 瑞巌院 | 〃 | 〃 | |
7. 忠徴 (ただあきら) | 文化 5.10.12 安政 3. 5.12 | 天保14. 9. 3 安政 3. 7.12 | 13 | 伊予守 侍 従 左京大夫 | 儔次郎 | 忠山道 徴 清寛寺 | 〃 | 〃 | |
8. 忠嘉 (ただひろ) | 天保10. 2.29 万延 1. 6.26 | 安政 3. 8.29 万延 1. 6.26 | 4 | 伊予守 右近将監 | 直之進 | 高鑑道 隆 義峰院 | 〃 | 〃 | |
9. 忠幹 (ただよし) | 文政10. 9.14 慶応 1. 9. 6 | 万延 1.11. 6 慶応 1. 9. 6 | 5 | 信濃守 左京大夫 | 鋭吉 豊松丸 | 泰巌義 秀 忠幹寺 | 〃 | 〃 |