戦国時代の天文十八年(一五四九)七月、キリスト教イエズス会(耶蘇会)創立者の一人である、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが、マラッカで日本人キリシタン・アンジロウ(ヤジロウ)に会い、日本への布教を志し、彼の案内で鹿児島に渡来した。領主島津貴久に布教の許可を得て、鹿児島で布教を始めた。これが、わが国にキリスト教が伝えられた最初とされている。
ザビエルは、その後、平戸・山口へと移り、さらに日本全国に布教する許可を得るため、天皇に布教の許可を求めて上京したが、天皇に会えず、山口にもどり、間もなく豊後府内(現大分市)へ移り布教した。ザビエルは、日本滞在二年余で帰国したが、彼のあとに渡来したフロイスらの宣教師たちによって、キリスト教が日本に広められた。その布教は、キリストが最高の神であり、日本古来の神社仏閣の排除、切腹などに見られる封建的な道徳の戒め、人は一夫一婦のもとに生活を営み、生涯離婚を禁止し、民衆の団結を説いた。