ビューア該当ページ

キリシタンの黙認から弾圧へ

780 ~ 783 / 1391ページ
ところが、文禄二年(一五九三)スペインの宣教師たちが、京都や大坂で公然と布教活動を始めた。そのため秀吉は、慶長元年(一五九六)宣教師や信者一七人を捕らえ、見せしめに、京・伏見・大坂の市中を引き回した。その途次、九人の殉教志願者が出て、合わせて二十六人のキリシタンを、キリシタンの中心地である長崎の浦上へ送り、見せしめに、群衆の見守る中で十字架にかけ、槍で横腹を刺して処刑した。二十六人は、のちに聖人に列せられて、浦上二六聖人として今に祭られている。これが日本最初のキリシタン迫害の第一歩で、大殉教であった。この事件を契機に、キリシタン禁令は実質化していった。
 秀吉の死後、江戸幕府が成立した後も、幕府は秀吉の禁教令を継承したが、長崎を中心に九州地方では、ひそかに布教が行われていた。幕府は、慶長十七年(一六一二)八月に、幕府直轄領に本格的にキリシタン禁令を発した。翌十八年十二月には、全国の諸大名にも禁令を布告した(第5図参照)。禁令の全文は次のとおりである。
 
        宗門檀那請合の掟
  一きりしたんの法は、死を顧みず、火に入るも焼けず、水に入るも溺れず、身より血を出して死を成すを
   成仏と立る故に、天下の法度厳密なり、これにより、死を軽ふするもの吟味を遂ぐべき事
  一きりしたんに元附く者は、闥単(だったん)国(タタール、蒙古族の総称)より、毎日金七厘を与へ、天下
   を切支丹に成すべし、神国を妨げる邪法なり、此宗に元附く者は、釈迦の法を用いず故、檀那寺の檀役
   を妨げ、仏法の建立を嫌ふ、これにより、吟味を遂ぐべき事
  一頭檀那たりとも、其宗門の祖師忌、仏忌、盆、彼岸、先祖の命日絶て参詣仕らず□□(破損)判形を引き、
   宗旨役所え断り、急度(きっと)吟味を遂ぐべき事
  一きりしたん・不受不施(ふじゅふせ)の者は、先祖の年忌僧の弔いを不□□□(破損)、宗門寺え一通り志
   を述べ、内証にて俗人一類打ち寄り弔い、僧の来る時は不興にして用いず、これにより、吟味を遂ぐべ
   き事
  一檀那役を勤めず、然も我意に任せて、宗門請合の住僧人を用いず、宗門寺の用事身上相応に勤めず、内
   心邪法を抱きたるを不受不施と立ると相心得るべき事
  一不受不施の法は、何にても宗門寺より申す事を請けず、其宗門の祖師本尊寺用に施さず、はた又他宗の
   者を請けず、是邪法なり、人間は天の恩を請けて地に施し、親の恩を請けて子に施し、仏の恩を請けて
   僧に施す、是正法なり、これにより、吟味を遂ぐべき事
  一切支丹・非(悲)田宗・不受不施三宗ともに一派なり、彼尊む処の本尊は、午頭切支丹丁頭仏といふ故に、
   丁頭大うす(デウス=神)と名乗り、此仏を頼り奉り鏡を見れば、仏面と見へ、宗旨を転して大と見ゆる、
   是邪法の鏡なり、一度此鏡を見るもの深く午頭切支丹丁頭仏を信仰し、日本を魔国となす、然るといえ
   ども、宗門吟味の神国故、一通り宗門寺え元附き、今日の人に交わりし、内心不受不施にて宗門寺に出
   入りせず、これにより、吟味を遂ぐべき事
  一仏法をすすめ、談義講釈を成して参詣致させ、檀那役を以て夫々の寺法用い、修理、建立勤さすべし、
   邪宗邪法は寺の事一切せず、世間に交り、一通りにて内心仏法を破り、僧のすすめを用いず、これによ
   り、吟味を遂ぐべき事
  一死後死骸頭に刺刀を与え、戒名授け申す事、是は宗門の住僧死相を見届け、邪宗にてこれ無き段慥(た
   しか)に合点の上引導致すべきなり、能々吟味を遂ぐべき事
  一宗門寺を指置、外寺の僧を頼み弔ひ、其宗門の住持人を退け申す事別して倹(詮)議致すべし、邪宗邪法
   吟味を遂ぐべき事
  一天下一統正法に紛れこれ無き者には、判形を加え、宗旨請合申すべき候、武士は其寺の請帳に印証を加
   え指上げ、其外血判成り難き者は、請人請合を以て証文指出すべき事
  一先祖の仏事を他寺え持参致し、法事勤め申す事堅く禁制、然るといえども、他国他在にて死すものは格
   別の事、且持仏堂、仏像、画像備物に至る迄能々見届け申すべし、且又毎年盆廻の儀、其宗門の仏檀吟
   味として相廻り申すべき事
  一相果候時は、一切宗門寺の指図を請け、取り行い申すべき事
  一天下の敵万民の怨は、切支丹・不受不施・非(悲)田宗なり、馬転連(ばてれん)の類族相果候節は、寺社
   役所え相断り検使を請け、宗門寺の住持弔い申すべき事、役所え断らず弔い申す時は其僧の越度、能々
   吟味致すべき事、はた又横様無躰に檀那役等、其者分限不相応の儀は、宗門寺より用捨あるべき事、信
   心を以て仏法を尊み、正法を敬ふ者は正法なり
 右、十五(ママ)ケ条の趣一も相背においては、上は梵天帝釈四天王五道の冥宮、日本伊勢天照大神宮、八幡大菩薩春日大明神、其ほか氏神日本六十余州の神明の、神罸を蒙るべきものなり
    慶長十八年
      丑十一月日
奉行
(「渡辺文書」北九州市門司区)
 

第5図 慶長18年のキリシタン禁令「宗門檀那請合之掟」
(部分)(渡辺家所蔵)