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宗門月改め

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年一度の、宗門奉行の廻郡による宗門改めのほかに、毎月村ごとに宗門改めを行う義務を課せられていた。この宗門月改めは形式的なもので、その目的は、住民を支配していくための統制の場であった。
 すなわち村ごとに庄屋は、毎月村民を集めて、キリシタンの禁制、幕府や藩からの布告の伝達、法令の順守、治安などを、末端の百姓に至るまで読み聞かせて、住民を統制していく上で、欠かせない必要事項の周知徹底を図るのが、重要な目的であった。
 大庄屋は、幕府や藩の伝達・順守事項が、手永内の村々に滞りなく伝達されたことを見届けて、郡ごとに大庄屋連名の証文を一紙に認(したた)めて、毎月二十九日に筋奉行に提出した。証文は筋奉行から、宗旨奉行へ提出された。
 
          差し上げ申す宗門月改めの事
  一仲津御郡中において、切支丹宗門御穿鑿(せんさく)の儀、最前御帳面の通り、毎月懈怠(けたい)無く堅
   く相守り、本百姓面々一家主々の儀は、申し上げるに及ばず、召仕候下人、名子百姓の者ども迄も、こ
   とごとく吟味仕り、寺手形見届け、慥(たしか)に仕置候事
  一御穿鑿至極の上にても、切支丹宗門御座候はば、承り届次第即時に申し上ぐべき候事
  一他所より来る者、当御郡中居住仕り候は、もっとも御掟の通り相達し申すべき候、たとえ暫く滞留せし
   め候とも宗門相改め、相違無き様に仕るべき候
     付り、死人ある時は、取置候次第、もし宗旨相違の族御座候はば、申し上ぐべき事
  右の条々相守り、堅く吟味仕り候、御穿鑿洩さず段々附(腐)心の前に御座候間、一切自他ともに、宗門の
  儀においては、いささか油断仕り間じく候、万一相違の儀あるにおいては、判形の者ども急度(きっと)曲
  事(くせごと)仰せ付けさせらるべき候、後日のため、よって証文くだんのごとし
      文化四年卯七月廿九日
節丸弥八郎      
国作宗右衛門      
平嶋円蔵      
長井甚左衛門      

    井上与三左衛門様
元永七左衛門      
(「長井手永大庄屋日記」)