宗門改寺請状は、単に寺請状ともいった。寺請状は、初めはキリシタンの排除対策として、檀那寺が、檀家を監視する役目から作成されたものであった。キリシタンが消滅したころからは、婚姻・旅行や、奉公人の雇い入れなどの際に、身元を証明する、一種の身分証明書の役割を果たすようになった。
寺請状の書式は、一般的には家長を中心に、宗旨、檀那寺、家族名、年齢、続き柄などが書き込まれた。帳面の前書きにはキリシタン禁制のことが記されており、帳面に記載された者たちはキリシタンでないということを証明した寺請状が、壇那寺の署名捺印の上、庄屋から大庄屋・筋奉行を経て、宗旨奉行へ提出された。
安永六年(一七七七)に宗門改帳は、幕府の通達によって、身分とその宗旨を分けて提出することになった。帳面の作成は、本百姓帳・行歩不叶帳・奉公人帳・死人帳・社人盲僧帳・寺寄帳・両役(大庄屋・子供役)踏帳などで、身分の細分化した帳面を作成するものであった。
寺請状の作成について、嘉永四年(一八五一)二月に、郡方から「正月中檀那寺へ年賀として、仏参いたすべき事、その節、檀那寺より宗旨証拠を、その檀家々々へ相渡候につき受け取り、庄屋へ相納め申すべき事」(「長井手永大庄屋日記」)と、触れが出されている。各人は、キリシタンでない証明を受けるために、毎年正月に檀那寺へ年賀の仏参に行って、檀家である証明書を受け取り、庄屋は、各人からその証明書を受け取って、一冊の帳面に認めた。