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宗門改人別帳の戸籍簿化

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享保六年(一七二一)将軍吉宗は、全国一斉に人口調査を命じた。二回目を同十一年に行ってからは、以後、子年と午年の六年ごとに、定期的に全国の人口調査が行われた。全国人口調査は、享保十一年から文久四年(一八六四)まで一三八年間、世界に類のない、正確な人口調査が継続されてきた。
 宗門改めのための、人別宗旨改めは毎年実施され、一方人口調査のための人別改めは、六年に一度実施された。このため庄屋は、子・午年の人口調査には、人別帳を四冊作成して、郡代・筋奉行・大庄屋にそれぞれ一冊ずつ提出し、庄屋の手元に一冊置いて備えた(『福岡県史』第三巻下冊)。前述の、六郡大庄屋連名の宗門改めの改革案は、この全国人口調査の子年・午年に合わせた、六年に一度の実施を提案したものであった。
 宗門改人別帳は、宗門改め本来の目的のキリシタンが表面から消えて、人口調査が定期的に実施されるようになってからは、人別改め的な性格が顕著になった。その実質は、宗門改人別帳の戸籍簿化であった。