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寛政十三年の条目

876 ~ 878 / 1391ページ
この条目は、京都郡に出されたものである(「小倉藩法令」『県資』第四輯五九九~六〇三ページ)。例えば、倒れ百姓になっているにもかかわらず、先祖から宮座の上席の家柄だと称して、上座に座る者がいるようだが、百姓は耕作している作高をもって、格式の決定や村役を任命するようにとの現実的な対応を示している点(第二十八条)に、この条目のいちばん大きな特色があるといってもよい。
 第一条において、京都郡の農村の有様が紹介されている。それによれば、おおよそ次の様子であった。
 京都郡は、もともと人不足のところである。近年特に人不足がひどくなって、莫大(ばくだい)な余り地ができた。その余り地の経営補助料として「扱い米」をもらっていたが、結局はその「扱い米」さえも年貢の立て替えに使う有様である。また、通常に運営・経営している村は、手余り地で荒廃している村の年貢・その他の上納米を引き受け融通してきたために引き倒されて疲弊が拡大してきている。といった有様を述べ、さらに、以前には復興のための施策「立替の仕法」があったが成功していない。そこで、余り地の無いよう出来る限り「新百姓」を仕据える大がかりな「仕法」を三ヵ年にわたって実行する。そのために以下の内容―全三十二条にわたって―を触れ出した。
 主な内容は次のとおりである。
 
  第二条 百姓が出精すれば、「日分(ひわ)け」男一人分の労働量を生み出す。日分け男とは奉公人の一種
     で、一応日雇い労働者とほぼ同じと考えられるが、奉公先を幾つか持ち、それぞれの奉公先の日
     数が決まっている者をいう。つまり、働き次第で奉公人を雇わなくて済むようにもっと「出精」
     すべしと言っているのである。
  第三条 小作人にはこれまで同様増作を申しつける。さらに耕作に従事しない者がいないようにすること。
  第四条 郡中の田畠の作人帳を作成すること。
  第七条 この度の仕組みにかかわる村に、遠方の地主として小作に出している者は、その田地を三ヵ年は
     自作すること。
  第八条 「附下げ作(つけさげさく)」は堅く禁止する。この慣行は不詳だが、無主地を耕作する者と村方
     役人などの間で行われた契約作と考えられる。耕作者に何らかの恩典を与えざるを得ない状態をいっ
     ているようである。
  第十条 他領・他郡への奉公は禁止する。
  第十一条 新百姓として他領から来た者には格別に親切にすること。
  第十二条 子供が幼年のためにという理由で、「百姓株」を絶やさないように村役の者が引き立てるよう
     にすること。また、子供の無い百姓には養子などを迎えるように世話をやくこと。
  第十五条 他領・他郡から居住を希望する者があれば、特に他郡について先方に問題がなければ、許可を
     すること。
 
 以上のように、こまごまと決めているが、結局は手余り地の解消のために新百姓の仕据えと地主制抑制の二点が施策となっている。