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領民の表彰

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次に、幕府は寛政元年(一七八九)に諸藩に命じて、「孝義録」の作成に取りかかった。その内容は忠節・貞節・親孝行などその他の善行で世にきこえた者を褒賞した。その目的は、農村社会の振興と安定にあり、家族問題を重視した結果でもあった。すなわち、農家経営の労働力を安定させる必要があったのである(第32表参照)。
第32表 表彰を受けた人々
(「孝義旌表目録」『県資』続第1輯、『小倉市誌』続編)
           郡名
年代
企救田川京都仲聿築城上毛合計
元禄年間(1688―1704)22
享保年間(1716―1736)2114
元文1~天明8(1736~1788)20345335
寛政年間(1789―1801)5669105944035399
享和1~文政12(1801~1829)1312333640
天保年間(1830―1844)22161212101991
弘化1~嘉永6(1844~1853)433730292947215
安政1~文久3(1854~1863)2070221215139
年 代 不 詳96334732
総     計187143228169101129957
注:企救郡は、小倉城下町分も含む、上毛郡は御領分(新田藩)を含む。

 この表全体から見ると寛政年間が一番多く、中でも寛政七年(一七九五)が三八六人と多い。また、全体を通じて、この年間の京都郡の褒賞者が一番多い。寛政年間についで、弘化年間から幕末期に多くの褒賞者が出ている。しかも褒賞の理由に、孝行者などと同様に「一番皆済」や「農業出精」という項目などがみられることから、人口減少という厳しい生活環境を立て直すことにいかに腐心していたかが分かる。一番皆済とは年貢を一番早く完納した者をいう。町の領域を含む仲津郡での褒賞者について第33表で示しておく(「孝義旌表録目録」『県資』続第一輯六〇二~六四六ページ)。
第33表 仲津郡の褒賞者一覧
年代1西暦手永名村 名褒賞理由名  前褒賞品
宝暦121762国作大橋孝行者忠四郎褒美
寛政71795国作大橋一番皆済茂右衛門御酒被下之御褒美
農業出精源七
清五郎
孝行者ひさ
大吉
七兵衛
福富一番皆済平兵衛
藤蔵
竹並貞實者幸内
農業出精平七
矢留一番皆済久兵衛
甚右衛門
六兵衛
吉六
惣社貞實者又右衛門
国分貞實者又三郎
利助
太郎兵衛
徳政貞實者儀右衛門
綾野貞實者勘作
新八
上坂貞實者伴蔵
下原貞實者磯七
砦(見)貞實者茂七
良平
常次郎
有久貞實者庄作
田中貞實者九兵衛
吉兵衛
半次郎
国作貞實者又右衛門
説丸光富孝行者市郎兵衛
又右衛門
上原孝行者藤蔵
木井馬場孝行者善五郎
上高屋貞實者七兵衛
文化51808節丸節丸孝行者幾次郎米五俵褒美
天保11830節丸犬丸孝行者つな米三俵五褒美
天保71836国作大橋孝行者七兵衛樽肴
節丸犬丸孝行者つな綿壱貫御褒美
弘化41847節丸横瀬奇特者吉田又三郎一代庄屋格之褒美
嘉水21849国作大橋孝行者七兵衛米壱俵褒美
矢留孝行者定吉米壱俵之褒美
節丸節丸孝行者弥左衛門米壱俵褒美
横瀬貞實者幾太郎壱貫文御褒美
上伊良原孝行者恒蔵金百疋之御褒美
貞實者實吉壱貫文褒美
帆柱貞實者岩右衛門壱貫文褒美
嘉永61853国作綾野貞實者定兵衛御酒被下之御褒美
孝行者與右衛門 
安政31856節丸木井馬場孝行者松右衛門金百疋之御褒美
横瀬貞實者惣太郎壱貫文之褒美
上伊良原孝行者市助壱貫文褒美
上高屋孝行者新右衛門娘すめ米壱俵褒美
安政71860節丸横瀬孝行者十作御酒被下之御褒美
万延11860節丸上伊良原奇特者元右衛門三貫文褒美
文久21862国作福富貞實者治郎兵衛一代庄屋格之褒美
竹並貞實者惣右衛門壱貫文 一代庄屋格之褒美
(「孝義旌表録目録」『県資』続第1輯)