幕府の処置によって、決着のついたかに見えた家臣団の分裂は再燃して、文政元年(一八一八)白組は出雲の嫡男小笠原帯刀をリーダーとし、黒組(反主流派)は二木勘右衛門の家督を相続した二木左次馬をリーダーとして対立した。「御城下甚だ騒がし」(「戊年騒動記」『小倉市誌』上巻八二ページ)の情勢となり、再び確執が表沙汰になった。翌二年に小笠原帯刀・二木左次馬がともに家老職に就くや、反主流派で占められていた藩権力の中枢の人事は刷新され、主流派である白組が復権した。翌三年には前述の渋田見氏の襲撃の犯人が挙がり、また足立山の狼煙騒動の犯人も捕まった。こうして反主流派は次々と処罰され(第38表参照)、そのほかに黒組にくみしていた者の多くが減知や蟄居・隠居を命じられて粛清された。表面上は藩内は静謐(せいひつ)になったが、両者の間の溝はさらに深い亀裂を生じさせ、抜きさしならない不信を生んだのである。
人 名 | 罪 状 | 処 罰 |
上原与市 | この度の事件の張本人、烽火をあげるように 手下に指示し、その他の悪事を働いた | 火 罪 |
早見新助 | 渋田見彦左衛門を暗殺 | 獄 門 |
御草履取 繁 七 | 小笠原隼人の指図にて石見国へ銀談 | 獄 門 |
早見順助 | 御証文役相勤め、数多くの悪事 | 打 首 |
大里町 鍵屋弥四郎 | 石見国へ銀談・京都へ内訴 |
木屋十兵衛 | 悪党に加担し、呪咀などを取り扱う |
広寿山料理人 鶴田幸八 | 与市の指図にて烽火をあげた |
二木左治馬 | 悪党第一の人物 | 牢内で死罪 |
小笠原東(藤)助 | 渋田見彦左衛門を暗殺 |
小笠原隼人 | 石見へ銀談・京都へ内訴 |