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浜出し費用と大坂回米

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明和元年(一七六四)、森守之(もりゆき)が著述した『郡方大綱秘記』によると、各郷蔵の浜出し費用は、行事・大橋・沓尾は一石につき米二合、椎田は二合五勺、八屋は一合五勺であった。小倉への回漕運賃は、行事・大橋・沓尾からは一石につき一歩三朱、椎田からは一歩五朱、八屋からは一歩六朱の定めであった。そして、小倉での水揚げ費用は、一律に、一石につき二合であった。
 こうして、小倉の藩庫に収納された年貢米は、毎年一〇万石余であった。小倉小笠原藩の元禄三年(一六九〇)ごろの大坂回米量は二万五〇〇〇石余で、年貢米に占める割合は四分の一であった。それが、明和期(一七六四―七二)には五万石余となり、年貢米の半分は大坂へ積み登されるようになった。
 小倉小笠原藩は、小倉から大坂へ積み登せた年貢米や国産品を売却して、それを換金するために、大坂に蔵屋敷を設置した。第72表は、小倉藩の蔵屋敷の所在地および名代(屋敷地の名義人)・蔵元(蔵物の保管・出納をする商人)・掛屋(売却代金の収納を担当する商人)を一覧表にまとめたものである。
第72表 小倉小笠原藩の大坂蔵屋敷
年  号蔵屋敷位置名  代蔵  元掛 屋
延享四  (一七四七)中ノ島 塩屋六右衛門助松屋忠兵衛平野屋三郎兵衛同上
宝暦六  (一七五六)中ノ島常安町   
安永六  (一七七七) 助松屋新次郎平野屋弥太郎同上
天明三  (一七八三)中ノ島 塩屋六右衛門同前池田屋九右衛門 
文化十一 (一八一四)港橋北詰(中ノ島)鴻池屋三郎兵衛助松屋忠兵衛 
天保六  (一八三五)同前鴻池屋八左衛門同前 
維新前同前   
『日本経済史辞典』上巻による。