いつごろから櫨より蠟をとるようになったか判然としないが、江戸時代になって蠟の生産は増大した。長州藩は、天和元年(一六八一)に薩摩から種子を入手したが、普及したのは十八世紀初頭で、藩は領内の寺社境内、百姓の屋敷周り、武家や町人の屋敷地での栽培を奨励し、栽培法についても詳細に領民に指示している。肥後藩での原料の櫨の本格的仕立ては、十八世紀初頭からのことである。薩摩から買い入れた種子を播種し、堤防や荒蕪地に移植した。西南諸藩の多くは、蠟の専売制を採用し、蔵物として大坂や江戸市場へ移出した。豊津町域は、犀川町域とともに櫨実の特産地であった(第78表・第55図参照)。豊津町域は、節丸村・光冨村・彦徳村・国作村・国分村・徳永村が櫨実の生産地で、犀川町域は、生産地、そして犀川(今川)の舟運を生かした集荷地として栄えた。また、犀川町域は、櫨実を絞って生蠟を取る板場があり、櫨実仲買人がいて、生蠟の町域自給と櫨実の域外移出が行われた。
第78表 豊津町域の櫨実出来高 |
手 永 | 村 名 | 生産高 |
節 丸 | 石 | |
吉 岡 | 0 | |
上 原 | 0 | |
光 冨 | 5000 | |
節 丸 | 10000 | |
国 作 | 国 作 | 2000 |
惣 社 | 1000 | |
有 久 | 0 | |
下 原 | 200 | |
田 中 | 200 | |
皆 見 | 0 | |
綾 野 | 800 | |
国 分 | 2000 | |
上 坂 | 1300 | |
徳 政 | 1200 | |
平 嶋 | 彦 徳 | 3000 |
徳 永 | 2000 | |
計 | 16か村 | 28700 |
「仲津郡村々諸産物出来高書上帳」(明治2年)による。 |
第55図 ハゼ並木
藩は、領内で生産される櫨実・菜種子・楮(こうぞ)などの農産物や生蠟・菜種油などの加工商品を専売化し、国産奨励を推進した。
寛政六年(一七九四)、勝手方引請家老犬甘兵庫知寛(いぬかいひょうごともひろ)は、藩財政再建のため、「御建替仕法」を発し、年貢増徴と農村商品作物の奨励を行った。本百姓の出夫や諸掛かりものを高割りから軒割りに改め、無高・遊民・職人・商人にまでこれらを賦課した。小作人に増作を奨励し、職人・商人・医師・後家にも耕作を義務づけ、これに従わないものは免許札を取り上げた。殖産興業としては、櫨の栽培を指導し、奨励した(『北九州の歴史』)。これらの諸策で、窮乏化した藩財政は立ち直り、藩庫は充実したが、苛酷な年貢増徴で農村は疲弊し、荒廃した。
文政十年(一八二七)、藩は、田川郡赤池村に国産会所を新設し、生蠟・楮・鶏卵など一三品目を指定して集荷・販売した。この国産仕組では、米穀と生蠟が主として取り扱われ、集荷された産物は大坂を中心に販売された。
しかし、この国産仕組は、藩札の下落で失敗し、天保四年(一八三三)買米を中心とした国産方仕法が開始され、天保五年に国産方役所が設置された。同七年には、領内の余剰米を買い上げる米切手を発行し、産物買集所を企救郡田野浦と上毛郡宇島に設けた。
同十年には、この国産方仕法を中止し、生蠟方会所を設置した。郡中生蠟方の係のほかに、江戸廻生蠟御会所御用掛として仲津郡大橋村の商人柏木勘七を任命、さらに諸産物田野浦引請世話方として京都郡行事村の飴屋喜兵衛と宇島の万屋助九郎を任命した。藩は、このように、柏木・飴屋・万屋ら豪商を会所仕法の世話人に登用し、徳人依存体制の殖産興業政策を推進していった。
この会所仕法は、弘化二年(一八四五)に中止され、その後、嘉永七年(一八五四)、勝手方引請家老島村志津摩貫倫(つらとも)は、小倉織・製薬・金山・石炭などの生産を奨励し、商品作物の開発と藩専売制を実施した。
小倉・行事・宇島の三カ所に会所を設置し、田川郡と築城郡にそれぞれ一カ所取扱所を設けて、領内の米穀と諸産物を集荷し、藩の独占で販売した。
当初、櫨実の買い集めは蠟板場免許人に限定されていたが、天保元年(一八三〇)ごろには実際に集荷商人が発生しているので、藩は櫨仲買人や櫨実問屋を追認していった。「長井手永大庄屋日記」嘉永六年(一八五三)の条には、御用板場櫨仲買人として、長井手永では、續命院・大坂・喜多良・大村・柳瀬・山鹿の各村にそれぞれ一人、崎山村に三人の名前が散見される。これらの櫨仲買人は、「櫨実買方提札(さげふだ)」という免許札を藩より交付された。櫨仲買人は、その反対給付として、毎年運上銀八匁六分を藩庫へ上納した。なお、慶応四年(一八六八)―明治三年(一八七〇)には、續命院村藤七や崎山村林平蔵のように、櫨実仲買札と板場御免札の両札を持った職商人もいた。彼らは、櫨仲買札運上銀八匁六分とともに、板場札運上銀四三匁を銀小物成として毎年藩庫へ上納した。
櫨実の値段は、大坂相場を基準に、毎年十二月中旬に決まり、生蠟は大坂と下関へ回漕し、販売された。