① 細川氏及び小笠原氏初期の小倉藩では、山林はすべて藩有林であった。
② 天和年間(一六八一―八四)は、上(あが)り山(藩有林)と社寺山(宮山と寺山)・仕立山(したてやま)(民有林)
の三種類であった(天和三年十二月「長井手永山鑑寄帳」)(第82表参照)。
第82表 長井手永山鑑寄帳 |
天和3年(1683)12月 |
山の種類 | 畝 数 | 木 数 |
町 | 本 | |
上り山 | 168. 592 | 208,673 |
御植松 | 8. 701 | 47,250 |
藪 木 | 235 | |
百姓仕立山 | 59. 121 | 50,561 |
座敷廻り | 1,613 | |
宮 山 | 8. 971 | 5,858 |
寺 山 | 124 | |
前ノ丸山 | 0. 020 | 760 |
塚 木 | 470 | |
上り藪 | 19. 800 | 49,122 |
③ 元禄年間(一六八八―一七〇四)は、上り山・請山(うけやま)(藩有林を領民に貸与、預り山)と仕立山の三
種類であった。郡代宿久善左衛門のとき、山林法を制定し、反別調査を実施した(『旧租要略』)。
④ 幕末期は、官山・上り山・拝領山(中老以上の大身に知行地とともに給与)と社寺山(民有地)・仕立山(同)・
野山(同)の六種類であった。(『小倉藩政時状記』)
⑤ 明治維新期は、官林(御林・野原式)と私有林であった。