ビューア該当ページ

山林管理と山方運上銀

1088 ~ 1090 / 1391ページ
領主林の保護・管理ならびに民有林の所管は、山奉行・口屋番・山ノ口であった。山奉行は、主として林務に専任し、口屋番と在村の山ノ口が官林の保護、伐材・植林管理を担当した。天保八年(一八三七)時点の山奉行は、企救郡が細井彦兵衛(格式小姓組、三〇石五人扶持)、京都・仲津郡が田中作左兵衛(同)、築城・上毛郡が下条藤左衛門であった。京都・仲津郡の山奉行役宅は、文化十年(一八一三)時点は平嶋手永の道場寺村にあったが、その後、錦原に役宅が移され、天保十五年(一八四四)時点では、馬場庄助が錦原本陣を役宅に代用している。
 口屋番は、苗字・帯刀を許され、切米(きりまい)七~八石を与えられ、一山に二人ずつ配備された。山ノ口は、四~六斗の給米を受け、一山に十数人配備された。
 小物成として山林にかかる税には、請山運上・炭竈運上のほか、第83表のような免許札に対する山方運上銀があった。
第83表 免許札と山方運上銀
免許札山方運上銀
鑑札1枚につき
匁 分 
踏 炭銀 10. 0 
鍛冶炭3. 0 
6. 0 
松 根1. 5 
松 枝2. 0 
落 木1. 7 
鍬風呂10. 0 
杓 子6. 0 
3. 0 

 
 領民は、薪を入手するために「馬札」あるいは「歩行札」という二種類の薪採取鑑札を下付してもらった代償として、藩へ薪札運上銀を上納した。元文年中(一七三六―四一)以降、第84表の運上銀を定納するようになった(『豊前旧租要略』)。
第84表 小倉藩の薪札銀
郡名薪 札 銀
貫&emsp匁 分 厘 
企 救1.439. 5. 0 
田 川1.130. 0. 0 
京 都496. 8. 8 
仲 津503. 0. 0 
築 城522. 0. 0 
上 毛1.715. 0. 0 
合 計5.806. 3. 8 

 
 第85表は、寛政元年(一七八九)の「仲津郡山方勘定帳」のうち、節丸・長井両手永分を表示したものである。
第85表 仲津郡山方勘定(その一部)
寛政元年(1789)
      手永
 品
節  丸長  井
材   木
 代 銀
 運上銀1荷につき
141荷8分8朱
70目9分8朱
5分
80荷6分4朱
40目3分2厘
5分
222荷5分2朱
111匁2分2厘8朱
5分
松 葉 札
 代 銀
 運上銀1枚につき
44枚
44匁
1匁
49枚
49匁
1匁
93枚
93匁
1匁
下   苅
 代 銀
 運上銀1匁につき
453朱
15匁1分
30朱
120朱
4匁
30朱
573朱
19匁1分
30朱
代 銀 〆130目4厘93匁3分2厘222匁3分6厘

 
 材木生産は、仲津郡五手永のうち、節丸手永は四五パーセント、長井手永は二五パーセントを占め、両手永合わせて七〇%の生産高を数えている。山林樹木の下草や枝葉を刈り取り、領民が薪など日常生活に必要とする下刈りも、節丸手永は六四%、長井手永は一七パーセントを占め、両手永合わせて八一パーセントの生産高を上げている。豊津町域は、犀川町域とともに、郡内では山林の宝庫でもあった。