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藩主廻郡と大村人馬会所

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将軍の代替わりが行われると、原則として一年以内に、幕府巡見使による諸国巡見が実施されたように、藩主も代替わりごとに、一年以内に、藩主以下重臣による領内廻郡が行われた。
 安政三年(一八五六)八月二十九日、小笠原忠嘉が小倉藩主に就任するや、一行は、翌四年四月十四日に小倉城を発駕、一三日間に及ぶ領内巡察の末、四月二十六日に帰城した。第89表は、藩主廻郡の行程を表にしたものであり、第73図は、廻郡コースを地図の上に落としたものである。
 「小倉藩主御廻郡覚書」(仮題、「長井手永大庄屋日記」)は、この時の記録である。四月十七日、彦山客屋に宿泊した一行は、翌十八日に彦山を発ち、七ツ石―下津町、才ノ原で小休し、油須原で昼食後、郡境の石坂峠を越え、崎山―山鹿を経て、大村に到着、その日は大村の御陣屋に投宿した。

第73図 小倉藩主の廻郡コース―安政4年―

第89表 藩主廻郡行程
安政4年(1857)
月 日小休地昼 食小休地泊 地
4.14(発 駕)呼野御茶屋採銅所香春御茶屋
4.15上野御茶屋金 田香春御茶屋
4.16添 田
4.17仙 道彦山客屋彦山客屋
4.18油須原大 村
4.19節 丸築 城椎 田
4.20大 村八屋御茶屋宇 嶋
4.21
4.22安 武
4.23今井浄喜寺大 橋
4.24上稗田新 町 行 事
4.25(雨     天)行 事
4.26苅 田下曽根湯 川(帰 城)
(「小倉藩主御廻郡覚書」仮題、「長井手永大庄屋文書」)

 十九日には大村を出立、生立社(おいたつしゃ)に参詣し、牛切峠を越えて当町域の節丸―光冨―上原―綾野―下原―呰見を経て、椎田道(筑前秋月往来)に乗り、弓ノ師―築城を経て椎田駅へ到着し、一泊した。
 この覚書には、次のような記事が散見される。
 
  一、御本陣            長井又蔵
      六畳・八畳・六畳・六畳・六畳・拾畳・四畳半・
      四畳半・台所・拾壱畳半・拾弐畳・部屋八畳・八畳
    御止宿弐拾壱人
 
 これは、中御本陣を務めた長井手永大庄屋長井又蔵の役宅の間取りを示すものである。この中御本陣に、一行のうち、藩主以下二一人が投宿した。
 そして、この覚書で注目したいのは、「大村人馬会所」という記事が散見できることである。安政四年の藩主廻郡に際し、この人馬会所に、仲津郡の節丸・長井・元永・平嶋・国作の五手永の子供役五人と郡内の庄屋一四人、庄屋代一人、それに各村の方頭(ほうがしら)らが詰めて、出夫とともに、道中の搬送・逓送など、人馬継ぎ立ての世話をした。