第91表 享保17年3月~7月の天気 |
○晴天△曇天●雨天 |
月 日 | 3 | 4 | 5 | 閏5 | 6 | 7 |
1 | ○ | ○ | ● | ● | ○ | ○ |
2 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
3 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ● |
4 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
5 | ● | ○ | ○ | ● | ● | |
6 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ● |
7 | ● | ● | ○ | ○ | ||
8 | ● | ● | ● | ● | ○ | |
9 | ● | △ | ○ | ● | ○ | ○ |
10 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
11 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
12 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
13 | ● | ● | ○ | ● | ○ | ○ |
14 | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | |
15 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
16 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
17 | ○ | ● | ● | ○ | ● | |
18 | ● | ● | ● | ○ | ○ | |
19 | ○ | △ | ● | ○ | ● | |
20 | ○ | △ | ● | ○ | ○ | |
21 | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | |
22 | ● | ○ | ○ | ● | ○ | ○ |
23 | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ● |
24 | ○ | ● | ● | ● | ○ | ● |
25 | ○ | ● | ● | ○ | ||
26 | ○ | ● | ● | ○ | ○ | ○ |
27 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
28 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
29 | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | |
30 | ○ | ○ |
(「安武手永大庄屋日記」から) |
このため、田にはウンカが異常発生し始めた。六月十三日には、「村々小糠(ぬか)虫付候にて(中略)寒田(さわだ)(現築城町)にて、実盛人形こしらえ、かね・太鼓を打ち、子供に紙のぼりとも持せ候て、寒田より下り、追下し候はば、村々受取り、追下し候へと申し付け候」(「安武手永大庄屋日記」)と、ウンカを山手の方から、かねや太鼓を打ち鳴らして、下手の方へ順次追い、海へ追い出した。
しかし、その効果は無く、同十九日には早くも「村々虫気殊の外強く、皆損田(無収穫田)のある段申し上げ候」と、ウンカによる稲作の大凶作の前兆が早くも出始めている。この報告を受けた大庄屋は、同月二十三日から、村々の虫付田を見回って、虫付きの状況を役所へ報告している。その後もウンカの発生は衰えず、七月になって異常に大発生した。役所からは、ウンカ撲滅対策に「虫気の田に、鯨油壱反に付き、弐合ずつ入れ見申し候へと、仰せ付けられ候」と、大発生したウンカ撲滅に、試行錯誤の状態である(「安武手永大庄屋日記」)。
ウンカの大発生を『倉府見聞集』(『福岡県史資料』第三輯)には、「抜け殼が、水に浮かんでいる様子は、糠が浮いているようで、片時の内に一坪の内に五升、七升の抜け殼となる有様である。また、ウンカは、長稲にびっしりと取り付き、根から葉まで食いつくしてしまい、一夜の中に稲は枯れてしまった」と記してある。こうした状況で稲作の収穫が、危惧(きぐ)されたとおりの皆無に近い状態になってしまった。小倉藩の損毛(被害)高は、一四万八四七三石余にも達し、年貢収納は六万五九〇〇余石(「小倉領巡見上使心得書」豊津高校所蔵)で、年貢収納率は、三三パーセントに過ぎなかった。この年、西日本一円は、未曽有の大凶作となって、飢饉による多数の犠牲者を出してしまった。