飢饉の原因となった、天明三年から同七年までの、天候不順の記録が第95表である。天明三年の冷害を除いては、長雨と旱魃(かんばつ)による凶作で、中でも天明三年・同六年・同七年の凶作が甚大であった。小倉藩でも同様に、天候不順による凶作続きで、飢饉に見舞われた。
第95表 天明飢饉の異常気象 |
年 | 気 象 状 況 と 作 柄 |
天明3年 | 浅間山噴火で東北地方は日照不足で大凶作、冷害による全国的な凶作 6月中旬から下旬まで寒気となる。 |
〃 4年 | 天候順調で平年作。 |
〃 5年 | 5月から6月末まで、およそ60日間の旱魃となり、凶作となる。 |
〃 6年 | 6月初めから7月7日まで、およそ30日間雨が降り続く、田方虫付きになる。畠作皆無同様となる。8月の風水害で稲作は五、六分の作柄となる。 |
〃 7年 | 春の長雨によって麦作皆無となる。このため、米価は高騰して7月には1石200匁になる。 |
(『禅源寺年代記』「国作手永大庄屋日記」「安武手永大庄屋日記」から) |
天明三年の夏は異常低温で、冷害による凶作であった。「安武手永大庄屋日記」によると、同年五月二十八日には、例年どおり手永中の田植えが終わったのだが、六月中旬になって寒気となり、異常な冷夏となった。
六月十七日 大雨、北風烈敷、夜より(雨)降出
同 十八日 大雨、北風強く、布子袷重着
同 廿七日 雨天、寒気
同 廿八日 雨天、寒気
同 廿九日 雨天、寒気
と、気候は六月中旬以降は、北風の吹く異常な冷夏となって、十八日には袷(あわせ)の重ね着をして、寒さを凌(しの)ぐほど寒気が強かったこと、同月末まで寒気が続いたことを記してある。