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小倉藩の損毛高

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天明の飢饉による小倉藩の年度別、郡別の損毛高は、第96表のとおりである。損毛高四カ年の平均は、七万五四八八石で、享保の飢饉の損毛高一四万八四七三石余に比べると、約二分の一強ではあるが、享保の飢饉が単年であったのに対し、天明の飢饉は、数年間にわたって慢性的な凶作の連続から起こった飢饉である。
 第96表は、幕府に届け出の書き上げで、幕府に届け出る損毛高の報告は、いつの時代でも相当に過大な報告がなされており、その数字は、必ずしも実態のものではないと思われるが、仮に損毛高をそのまま年貢徴収から免除したとして、二万石の収穫減があれば、年貢高は一万石程度の減収となり、小倉藩の平年作の年貢高はおおよそ一〇万石余(『北九州市史』近世編)で、年貢収納高の一〇分の一に当たり、余裕のない藩財政の上から、一〇分の一の収納減少は、藩経営の上から重大である。
第96表 天明の飢饉における小倉藩の損毛江戸届高
天明3年天明5年天明6年天明8年
石 升石 升石 升石 升
企救郡2220.68余2429.63余6626.00余
田川郡27183.45余18677.95余3005.30余15218.39余
京都郡23318.42余19956.07余17421.10余10875.38余
仲津郡22143.44余13050.08余19222.40余15145.68余
築城郡8140.48余13286.40余7978.65余
上毛郡2745.53余9085.62余5171.80余
85752.00余73501.70余91833.00余50866.10余
御領分内1990.00余内3605.00余内2767.50余内1648.00余
(「巡見上使御答書」永井文書から)