同年の「国作手永大庄屋日記」に、五月二十六日から二十八日にかけて、大橋(現行橋市)の商家へ、郡中の百姓たちが、無心に押しかけた記録がある(第98表参照)。生活に行き詰まった村々の百姓は、町場の富裕な商家へ、集団で無心する行動をとった。集団行動は、一揆になりかねない状況だが、記録に見るかぎり、富家への打ち毀(こわ)しは起きていないようだ。商家も百姓たちの無心のたびに、わずかながらでも施しをして、打ち毀しを逃れたのであろう。各地でもこのような百姓の無心があったものと思われる。
藩では、郡中の救済に、六月になって困窮の百姓へ、わずかだが救済の米穀が支給された。
第98表 天明7年・百姓の無心に押しかけられた商家 |
月 日 | 商 家 | 拠出額 | 無心の百姓 |
5.26 5.27 | 大橋町松屋吉兵衛 | 銭6匁 銭4匁 | 築城郡の百姓47人が酒代無心 上毛郡の百姓20人が無心 |
5.26 | 油屋久兵衛 | 銭4匁 | 上毛郡の百姓 |
5.26 5.28 | 潮屋平兵衛 | 白米2升 白米3升5合 | 上毛郡の百姓が飯米無心 上毛郡の百姓19人が飯米無心 |
5.27 | 亀屋清左衛門 | 白米2升6合 | 上毛郡の百姓13人が飯米無心 |
5.28 | 五月屋忠右衛門 | 白米3升5合 | 上毛郡の百姓21人が飯米無心 |