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飢饉の救済

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天明七年の飢饉で、郡中の困窮する百姓に対して、藩から仲津郡へ次のように米穀が支給された。
 
      難儀百姓御表より御救渡り
  一米五拾石五升八合三勺三才     郡辻
     但、一手永拾石壱升宛、八合三勺三才は平嶋に受取
  一大豆三拾石五斗九升五合壱勺    同
     但、壱手永六石壱斗壱升九合宛、壱勺は平嶋に入
  〆
  右の通り仰せ付けられ候、大豆は下ノ関より受取、米は小倉御蔵より渡り候に付き、村々より人足にて六
  月十日に受取
                                     (「国作手永大庄屋日記」)
 
 一手永当たり米一〇石一升、大豆六石一斗一升九合の割り当てである。藩からの救済は、七月にも大麦・大豆・小糠の救済があった。国作手永の豊津町域の村々への割り当ては第99表のとおりである。
第99表 天明7年の飢饉に対する藩からの救済
品目
支給日  
村名          
大豆大麦大麦大豆小糠
6月10日6月18日7月10日7月10日7月10日
石 斗 升石 斗 升石 斗 升斗 升斗 升斗 升
上 坂3 0 1 5 0 5 7 2 0 1 0 2 7 
綾 野6 0 4 0 0 1 5 2 4 3 1 6 5 4 
下 原4 0 2 0 0 1 9 0 3 2 1 5 3 6 
呰 見6 0 4 0 0 1 5 2 4 3 1 6 5 4 
有 久4 0 2 0 0 1 1 4 3 2 1 3 3 6 
徳 政5 5 3 6 9 1 9 0 2 7 1 1 3 2 
国 分1 0 3 6 0 0 4 0 0 6 0 2 4 9 3 
国 作1 0 4 6 0 0 1 9 0 7 0 2 8 9 4 
惣 社4 0 2 0 0 1 5 2 3 2 1 5 3 6 
田 中6 0 4 0 0 1 5 2 4 3 1 6 5 4 
(「国作手永大庄屋日記」から)

 ほかに、徳人(富裕者)からの救済があり、国作手永内の四人から、困窮の者へ救済がなされた。この内三軒は大橋の商人であった(第100表参照)。
 
第100表 天明7年・国作手永の徳人から困窮者への救済
拠 出 者拠 出 額
大橋町松屋
吉兵衛
 
米 1石2斗
大豆1石2斗
葛 1石2斗
大橋町油屋
久兵衛
 
米 8石  
大豆8石  
葛 8石  
大橋町広屋
治兵衛
大麦1石5斗
大豆6斗4升
国分村
は ま
米 7斗5升
(但、籾1石5斗)
(「国作手永大庄屋日記」から)