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七月二日の水害

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文政十一年(一八二八)は、七月に水害、八月には二度も風水害によって、大きな被害を受けた年であった。
 「長井手永大庄屋日記」七月三日の記事に、次のように洪水のもようを記してある。
 
  一昨夜半ごろより降雨、追々大風雨に罷り成り、昨夕七ツ(午後四時)ごろに至り、前代未聞の大洪水にて
  御座候、右に付き、手永内川筋、往来崩れ、土手崩れ、なおまた御田地川成、砂入り、水押し大造の儀と
  も出来仕り候趣相聞え、ひとえに苦々敷存じ奉り候、私方など屋敷内へ川水押し込み、土塀余ほど洗い崩
  し、既に床に水届き申すべきよう相成り、家内大騒動仕り候
 
 と、七月一日夜半から降りだした雨に大風が伴い、二日午後四時ごろには「前代未聞の大洪水」となって、道路の破損、川筋の決壊などで、田地が川になったり、砂が入ったり、作物が流されたりの被害を受けたことを記してある。