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八月二十四日の風水害

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未曽有の災害をもたらした八月十日の大風から、十四日後の同月二十四日には、再び大型台風に襲われた。『中村平左衛門日記』八月二十四日の記事に、
 
  今朝六ツ半時分(午前七時ごろ)より東風きびしく吹き起こり、五ツ半時分(午前九時ごろ)南風に回り、し
  ばらく吹き止み、やがて西風に変わり、言語道断はげしく相成り、四ツ時分(午前十時ごろ)北風に回り鎮
  り申し候
 
 今度の台風は、風向きの変わった午前九時過ぎから、西風が強く吹き荒れたが、昼間のことで「防ぎ方も行き届き、なおまた、最初の風に転び候ほどの家は多く転び候こと故、転び家、転び木などは少なく候」と、今度は先の大風に比べて、家屋の倒壊や倒木が少なかったのは、先の台風で既に倒壊した家屋が多かったためで、台風の勢力は、先の大風とあまり変わらなかったと思われる。事実、長井手永では、先の大風で居家の倒壊九七軒に対して、今回の台風では一〇〇軒の倒壊を記録している。
 今度の台風による小倉藩の被害は、居家の倒壊二九八八軒、特に海辺の浦方に被害が大きく、船の破却・流失が二五一艘、漁人の死者八八人、同行方不明者は一九四人にも上っている。
 風水害による被害は、当然稲作にも及び、同年の年貢収量は、企救郡一万二七一八石、田川郡一万四五四三石、京都郡九六七八石、仲津郡九五七一石、築城郡六四八三石、上毛郡五七六七石で、合計五万八七六〇石に過ぎず、年貢収納率は六〇パーセント弱であった(『福岡県の歴史』光文館刊)(第106表参照)。
第106表 文政11年8月の風水害による小倉藩の被害
被 害 の 内 訳8月10日の
大 風
8月24日の
風水害
居家(本転半転ともに)6862軒2988軒
稲屋・牛馬屋・土蔵・物置(本転半転ともに)3759軒1195軒
焼失居家8軒
御腰掛所在番役宅・遠見番所・諸役宅・御茶屋・郷蔵(本転半転ともに)32軒5軒
御高札場21ヵ所8ヵ所
塩焼屋59軒
水車屋8軒3軒
寺社・小社・拝殿・神輿蔵・辻堂・庫裡・寺門(本転半転ともに)213軒98軒
船数(破却・流失ともに)149艘251艘
漁人行方不明194人
同死人88人
怪我人175人10人
死人73人
(『中村平左衛門日記』から)