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七月十一日・八月七日の風水害

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六月の洪水で被害を出した後も、七月十一日と八月七日の二度にわたって、風水害の被害を受けた。「長井手永大庄屋日記」には、七月と八月の風水害の模様を次のとおり記してある。
  (七月)十一日、雨天、九ツ(午後十一時)過ぎより大風、九ツ時分(正午ごろ)東風強く、八ツ時分(午後二
  時ごろ)鎮り候
  (八月)七日、雨天大風、四ツ時分(午前十時ごろ)より東大風、七ツ時分(午後四時ごろ)まで、それより
  追々西に相成、夜五ツ(午後八時)までもってのほかはげし、洪水にて土手崩れ溢れる
 両度の風水害を被ったのであるが、被害は八月の風水害が大であったようである。「国作手永大庄屋日記」に、風水害の状況を「先月より両度の大風に付き、寺社、百姓家ならびに厩(うまや)・稲家本転半転数百軒、道橋までも大破におよび、所により通路も相成り兼ね申し候」「此間より両度の大風洪水に付ては、田畠ともに不毛上、なおまた転家も大造出来仕り(中略)難儀百姓の居家過半転家に罷成り」と、甚大な被害を出していることを記してある(第108表参照)。
第108表 嘉永3年の風水害による仲津郡の被害
被害本転居家半転居家倒 木
手永
元 永41軒104軒386本
国 作98 152 196 
長 井54 73 301 
節 丸39 53 34 
平 嶋57 104 224 
合 計289 486 1139 
(「国作手永大庄屋日記」から)

 八月七日の大風によって、錦原(大字豊津)で居家の倒壊によって死傷者が出た。風が西風に変わった暮れごろ、錦原の伝右衛門の居家が強風によって倒壊した。逃げ遅れた伝右衛門は、居家の下敷きになって即死、娘のしのが怪我をする惨事が起きている。