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給金のトラブル

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奉公人の給金に関することなどのトラブルは多かったようである。その多くは奉公人側の、心得が悪いことが理由とされている。もしそのとおりであるなら、農村の人手不足により需給のバランスが崩れ、圧倒的に需要の方が多かったであろうから、「売り手市場」であったことも、奉公人の心得を悪くした原因の一つかもしれない。天保四年(一八三三)仲津郡奉行小出段蔵より大庄屋・子供役にあてた触れの中で「近年、男女に限らず奉公人が高給を好み、勤方も以前と違って主人の言うことが気に入らないなら仕事を放り出し、また一年間奉公する約束であったのに途中で隙を取ったりするので、主人が奉公人の機嫌を伺うようになり、農業に差し支えている。以後、面倒を起こしたり、わがままなどを言う奉公人には厳しい罰を申し付ける。また上男の給米七俵を上限とし、中男六俵、それ以下の者はこれに準じて決める(下男は五俵)。上女の給米は五俵半を上限とし、中女四俵半、それ以下の者はこれに準じて決める(下女は三俵半)。奉公人の給米の定めは、一村ごとにその村の村役の者が上・中・下の差別を勘案して決めること。決め方に不相応なことがあれば、村役に罰を申し付ける。一つの村の奉公が終わらない内に他の村へ奉公に行くことは禁止する。もし他の村でも奉公を行って給米を取っていた場合は罰を申し付ける」と定めている(「国作手永大庄屋日記」天保四年十二月十六日の条)。