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帳面の調査

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嘉永七年八月、家老島村志津摩は、過去五年間の「勘定帳」などの年貢関係を中心とする諸帳簿の調査を大庄屋に命じた。企救郡の津田手永の大庄屋中村平左衛門が「調査役兼六郡吟味役」に任命された。調査は八月一日から日数四三日におよんだ。調査の目的は、欠落百姓の発生や難儀百姓が多い原因を大庄屋や庄屋などの取り計らいにあるとみて、また村々の定出米や臨時の出米に不正がないかどうかにあった。その一方で、役目料にかかわる諸出米の規制を打ち出し、藩からの農民の借財・年賦拝借の返済を延期して、出米・出金を一時減らそうともした。調査役の中村平左衛門が、安政二年(一八五五)に「京都郡諸取立向きの帳面改正、取立辻が以前よりは一〇〇〇石ほど減じ」と記しているように、相当な熱意をもって行われていることがわかる。
 この調査は、当初藩側は私曲を咎めないことを言明していたが、実際は安政二年一月、京都郡では大庄屋四人が役儀を取り上げられて罷免された。また上毛郡でも大庄屋が一人罷免された。そのうえ従来の慣例を破って他郡へ転役を命じられる者も出現した。そして田川郡以外の郡では、同一郡内では転役(異動)が行われた。このように、厳しい結果に終わった調査であったのである。