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幕府の公金貸付

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このほか、千原家の働きで小倉藩に融資された幕府の公金がある。これは御用達商人の仲介で日田郡代役所より直接貸し出されたものである。小倉藩に対する公金貸し付けが現在判明しているところでは嘉永五年(一八五二)に一〇〇〇両余がある。この時の小倉藩側の窓口は堤平兵衛であった。公金の貸し付けはだいたい十二月の日田地方幕領の年貢納入が終了した時点に開始される。幕府の掛屋になった日田の豪商たちは、この公金を預かり主として近隣の九州の諸大名に日田郡代の了承を得て貸し付けるのであった。千原家を通じて小倉藩に貸し出された公金は前ページの表に掲げるものがあった(第113表)。
第113表 小倉〈本藩〉の「御貸付金拝借」一覧
(楠本美智子「小倉藩の産物会所と日田金」『史淵』120輯)
年代西暦小 倉
役 場
小 倉
分 家
万 屋
柏 木
蔵 本上毛郡仲津郡京都郡田川郡築城郡
嘉永118481,00015
  218491,800100
  318502,150
  418513,200
  518522,700
  618532,5001,0001,000685
安政118544,5002,400350885
  218554,2508005,60050910
  318563,0005006,4406501,525300
  418573,00050012,65010500655600
  518582,00050014,300107003,470
  6185950014,9501201,2001,400
万延1186050020,900201203001,223
文久118611,20080016,400201901,5007,171
  2186280027,6004201,5402,150
  318631,00080027,130304831001,638
元治118641,61722,17031050
慶応118653,7006,6105301001,200
  218661,0006003006,000320
  318676205001,3281,9471,429
明治118681,3003,720500
  218694,00020050
  3187014,8001,500
  41871
※単位は両(金)

 本表から、多くの場合小倉藩領の農村に貸し出しが行われていることが分かる。「公金貸付名目」の欄が空白のものは藩が直接借りたものである。したがって、農民たちが村の困窮を解消するために資金援助を受け農村の立て直しをするために田地を質に入れて借りだしたものがほとんどであった。
 ところで、幕末動乱期にあたるこの時期、長州藩と対峙(たいじ)を迫られた小倉藩は、台場建設資金などの長州戦に備える軍備増強費の必要から、文久三年(一八六三)公金借り入れの申し出を日田郡代に申し入れた。ところが、日田郡代は公金の準備が出来なかったので、日田の掛屋商人たちに融通させた(翌年に合計一万二〇〇〇両を調達させた)。そして、同四年には三〇〇〇両の公金貸し付けをした。その上、さらに「小倉軍用金急場入用差し支えに付」の名目で日田周辺の農村部の富裕者・掛屋たちにそれぞれ五〇〇〇両、都合一万両の調達を命じた。
 こうして、最初は小倉藩の国産政策の「銀主」としてかかわった千原家であったが、やがて日田郡代を中心とした日田商人たちの日田金は、九州の対長州藩の前進基地・譜代大名としての小倉藩を背後から支える資金源としての役割を担うことになったのである。