教育方針は、漢学の伝授と共に道徳の実践に重点をおき、自ら門弟に範を示した。その儒学的な教風は、仏山が原古処の影響を多く受け、その上、亀井門に寄寓したことなどの影響により、朱子学に説く主知主義的なものよりも、主意的、行為主義的なものが強かったようである。そのため実践的な人格の練磨を説き、心情の自然的な発露としての詩作の意味を鼓吹した。人を愛し、敬することの大切さを学問攻究に生かすように努めた。
門人帳によれば、天保開塾以来明治十七年(一八八四)までの仏山および継嗣静窓への入門者は千三百有余名を数え、九州一円からさらに、中国、四国からの入学者がいたほど盛況であった。門下のうち俊秀として知られているのは、末松謙澄(名線松)、安広伴一郎などがあげられる。村上仏山、静窓父子二代五〇年間において豊津町関係入門生は第114表の通りである。
第114表 水哉園豊津町関係入門生『京都郡誌』 |
入門年 | 住 所 | 氏 名 |
天保七年 | 仲津郡節丸 | 進良吉 |
同 | 同 同 | 末広万吉 |
同 | 同 豊津 | 柴田勝三 |
同 | 同 光冨 | 勢島定次郎 |
天保八年 | 同 国分 | 国分寺淳教 |
同 | 同 国分 | 国分寺仁龍 |
同 | 同 惣社 | 菊地周平 |
天保十一年 | 同 国分 | 国分寺義応 |
弘化四年 | 同 国作 | 加来九一郎 |
同 | 同 国作 | 浄邦寺行教 |
嘉永元年 | 同 国分 | 内田秀之丞 |
安政六年 | 同 節丸 | 進源三郎 |
慶応元年 | 同 国分 | 国分寺英梁 |
同 | 同 国作 | 加来彦蔵 |
明治元年 | 同 節丸 | 宮原勘治 |
明治五年 | 同 豊津 | 三井武彦 |
同 | 同 国作 | 浄邦寺教恵 |
同 | 同 豊津 | 荒木征雄 |
明治六年 | 同 彦徳 | 安藤彦九郎 |
同 | 同 彦徳 | 安藤敬太郎 |
明治七年 | 同 豊津 | 久保田彦馬 |
同 | 同 同 | 林国次郎 |
同 | 同 同 | 松室茂 |
同 | 同 光冨 | 勢島一 |
明治八年 | 同 豊津 | 青木為次郎 |
同 | 同 同 | 松井辰三郎 |
明治十五年 | 同 国分 | 植村義寛 |
同 | 同 豊津 | 春日寛治 |
明治十六年 | 同 同 | 芝尾喜多夜叉 |
同 | 同 同 | 有賀淀彦 |