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当たり前を自然に振る舞う

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小笠原と言えば小笠原流、お作法と言えば小笠原流といえるほど、小笠原流の名称は全国津々浦々まで知られている。これは、小笠原の道統を継承した小笠原家の人々が代々朝廷、幕府の師範として務めてきたということと、小笠原の道統を継承する者は、その道について熟練熱心でなかったら相伝は許されないという厳しい定めがあったからだと思われる。
 小笠原忠統は、『「小笠原流礼法入門」の小笠原流礼法の真髄』の中で次のように述べている。「小笠原流というのは窮屈な礼法だと思われるいるようだ。しかし、本来小笠原流は社会人としてわきまえてしかるべき当たり前のことを、自然に振る舞うことができればそれが極意なのである」。
 小笠原家では、鎌倉時代以来の犬追物(いぬおうもの)、流鏑馬(やぶさめ)などで知られる小笠原流の弓術、馬術、そして礼法を総称して〝糾方〟と呼んでいる。糾方という言葉は、「平和の時は進退応対の礼、戦時の時には軍旅のはかりごと」という武家必須の故実をひとくくりにした概念であり、その意味するところは「三儀一統」に、「それ、弓(糾)法というは、弓は弘なり、法は度なり。これ、のりをひろむるの心なり」と著されているように、弓法とも書かれ、法を弘めるという意味である(中略)というようにいろいろな表現で用いられるのである。小笠原家の伝書に曰(いわ)く、「わが心に思うことをやめて、人の道理を立つること、さ候えば環の端なきがごとくにて候。所詮、わが初めの一念を捨てて、真実の道理を相互いにもとめて、おのずから、われと悟り知るべきなり」「人は大かた、人のために辛苦をするならいなり、(中略)惣じて身にそうたほど、分際にしたがい、徳を諸人にほどこすべし」すなわち、礼とは他人への心遣いである。その表現の底にあるのは思いやりやいたわりのまごころである。