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小笠原流の起源

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小笠原家は、清和天皇を始祖とする清和源氏の系統である。第五十六代清和天皇(八五八―七六)と弟君の能有公は武家故実、弓射に通じていた。清和天皇の第二皇子の貞純親王は叔父にあたる能有公より武門を継承し武家の法式をたてた。この貞純親王の嫡子経基公が小笠原家の始祖にあたるのである。経基公は、延喜十五年(九一五)十一月十三日「源」の姓を与えられ、源氏正統の祖となった。小笠原清信著の「小笠原流」にも「いまも小笠原家の大切な年中行事の一つとして毎年一月十七日に明治神宮で行われている大的式、一月上旬に鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の上加茂神社、奈良の大和神社で行う大的式の起源は、清和天皇が貞観庚辰(二年)(八六〇)の正月十八日に射礼を行われたことから出発している。また、貞純親王は、『射礼、射法、射行、射儀、射術』の五冊の本を編集し、『日本弓矢将軍』という名前を許す天皇の宣旨と白い幡をいただいている。そのため源氏のシンボルの白幡はここからきている。」とあり、つまり小笠原流は清和天皇、能有公、貞純親王、経基公を起源として発しているといえる。