小笠原貞宗は、従兄弟にあたる小笠原常興と共に弓馬の術を究め、弓馬の術にすぐれていた。貞宗は、後醍醐天皇につかえて「弓馬の家」とよばれていた。そして天皇より弓馬の奥義を勅問されたことに対して、貞宗は家伝として弓馬の奥義を奉答した。その後、正三位に叙せられ昇殿を許されている。そして、『小笠の光』(横井忠直著)には次のように記述されている。「命
二官画大蔵丞
一、描
二肖像
一、宸翰題
二其上
一曰、弓馬達人、文武良将、又賜
二王字
一、為
二家紋
一、貞宗恐惶、不
三敢露
二其字
一、以
二頼義已来所
レ用徽章松皮菱
一、韜
レ之(改
二中太
一為
二下太
一)称曰
二三階菱
一」
要するに、貞宗の時代に、源氏より用いていた家紋松皮菱を三階菱に改めたのである。
現在福岡県京都郡豊津町にある小笠原神社の正面鳥居に
講式近玉階 拝恩〓王字と刻まれているのは、このことを物語っている(第90図参照)。
三階菱
第90図 小笠原神社鳥居