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糾方の意味とその解釈

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「糾方」とは、小笠原家における弓馬の法を指して呼ぶ。小笠原家で代々嫡子にのみ伝えられるものである。室町時代の貞宗の時になって、礼法がこの糾方に加えられ、弓・馬・礼の三法をもって現代の小笠原家につながる伝統の基盤となっている。
 糾方的伝について、弓馬礼法小笠原流三十世家元小笠原清信の著書『小笠原流』(學生社)より記載させていただく。
 わが家につたわる「神伝弓法記録抄」によると、「糾方」の意味として次のように記されている。
  第一穹(きゅう)法とは 高なりとて たつとしと読む 高しと読む 法は軌なりとて のり物ぞ万物をのするぞ しからばたつとひのりとなり 又のりをたつとぶと也
  第二礼法とは 糺をただす也 しからば法をただす也
  第三躬法とは 躬法は身也 法を身にせよと也 身にせよとは 六根相形に法を持てと云義也
元来法を持て生まれ出たる邪慮にひかれてやぶる程に やぶらぬ処まで持也 法とは三綱五常の道ぞ (※三綱は君臣・父子・夫婦、五常は仁・義・礼・智・信)
  第四窮法とは 窮とは 極也 究也とてきはまると也 しからば法にきわまる 法をきはめよと也 春はめぐみ 夏はしげり 秋は色づき実り 冬はおさまるが法也
人畜 草木 蝦蟆蚯蚓に至るまで其の時 其節たがはざる事 法を守る謂也 故に法をきはまり法をきはめよと也
  第五供法とは 供は給也 そなはる也 法にそなはるとは 諸事万行 法をそむいてわたることなし法にそむかざるが法にそなはるで有るぞ
  第六救法とは 救は護也とて「すくふ」と読む しからば衆生を救う法ぞ
  第七翕法(きゆうほう)とは 翕は盛也 しからば さかふる法と也 さかふる法とは のぞむ処皆満足して生を理る也 三綱五常の法をつとめ行へば 我身のみならず属類皆 さかふる法也
  第八鞏法(きゆうほう)とは 鞏は周也 まこと也 法度は正直を本とする故に鞏法と也 仁義礼智そなはってもまことなければ成就なし 故まことと云信の字うてなにおけり
  第九九法とは九は上の上 上の中 上の下 中の上 中の中 中の下 下の上 下の中 下の下とて九品の令法これあり 九重の礼品これあり けだし九重の法則九品礼誼なり
右九重の讃談如此 けだし惣命弓法也 弓は弘なりとて ひろむると也 しからば 法をひろむるなり 又ひろい法と云心もあり 無量の法なればなり


 つまり、簡単にいえば「糾方」とは惣名(そうめい)弓法として、無量の法であり、かつ法をひろめることである。そして、
 ①穹法=のりをたっとぶ
 ②糺法=法をただす
 ③躬法=自然の理法として法を身につける
 ④窮法=法をきわめ、法をまもる
 ⑤供法=法がそなわる、法にそむかない
 ⑥救法=衆生を救う
 ⑦翕法=満ち足りて栄える
 ⑧鞏法=誠の心を本とする
 ⑨九法=あらゆる礼法の奥儀をきわめる
というように解釈している。
 いわば当然のことではあるが、現在小笠原家に伝承されている弓馬礼法の真義はすべてこのなかに含まれているといってよいのである。誠の心をもって自然の理法にしたがい、品節をたがわないように、その上、時、所、位にしたがって行えば、当然これが「礼法」の心となり、行動となってくる。礼法だけでなく、武道もまたこの心から出発するのである。この糾方の教えから、小笠原家の家伝の書で最も基本となる「修身論」と「体用論」が編述されたのであるといわれている。