・天和二年(一六八二) | 七月四日武蔵国江戸常磐内の屋舗で生まれる。忠雄の嫡男で、母は安芸大守浅野紀伊守光晟の女永姫。 |
・元禄元年(一六八八) | 正月四日篠張木馬の稽古を始めた。 |
・元禄九年(一六九六) | 十二月二十二日従五位下に叙せられ、官名織部正と改めた。 |
・元禄十二年(一六九九) | 糾方的伝、師範忠雄。 |
・享保十年(一七二五) | 忠基遺領を継ぐ。 |
・ 〃 | 大日向武兵衛種真へ命じて家中諸士の系図を編録させる。 |
・享保十一年(一七二六) | 十一月二日領内の神社へ初めて目安箱を設け、翌三日領知初めて巡覧す。 |
・寛保元年(一七四一) | 七月十五日始祖長清殿長清五百年回忌を広寿山で修す(住職空極和尚)。 |
・寛保三年(一七四三) | 信州秀政の墓所を埋柳より広沢寺に、また忠脩の墓所を神宮寺山林より広沢寺に移した。各五輪塔を造立した。 |
・延享三年(一七四六) | 貞宗四百年忌を開善寺で修す。古河の城下正麟寺に長時の位牌を安置するため白銀三枚を中務大輔に頼み、供えられる。 |
・宝暦二年(一七五二) | 忠基逝去す。享年七一歳。洪済寺殿従四位下拾遺良巖際仁大居士、浅草海禅寺に葬る。 |