・延享三年(一七四六) | 九月二十四日播州安志で小笠原長達の三男として生まれる。母は家女栗野氏。京都の人。 |
・安永元年(一七七二) | 三月八日小笠原忠総の養子となる。 |
・安永二年(一七七三) | 十二月十六日従五位下に叙せられ、伊予守と称した。 |
・安永五年(一七七六) | 二月父忠総より糾方的伝(三一歳)。 |
石川剛(彦岳)、忠苗の侍読を務めた。 | |
・寛政二年(一七九〇) | 忠苗遺領を継ぐ。 |
・寛政三年(一七九一) | 文武稽古所を設けた。また江戸藩邸内に思永館出張所を設けた。 |
十二月十六日従四位下に叙せられ、右近将監と改めた。 | |
・寛政五年(一七九三) | 三月四日領地廻郡として城中より発駕。田川、仲津、築城、上毛、京都、十八日帰城。右郡中七〇歳以上の者に賜ものあり。「百四才なる老婦も有て出ければ、目通り詞をかけらる」とある。 |
・寛政七年(一七九五) | 三月二十五日領地廻郡として城中より発駕。企救、築城、四月朔日帰城。 |
・享和三年(一八〇三) | 家老犬甘兵庫知寛退けられ、翌年二月六日頂吉の牢に蟄居す。その年冬、頂吉の牢獄で没した。 |
・文化五年(一八〇八) | 二月十八日逝去す。享年六三歳。浄国寺殿従四位下拾遺寛叟維信大居士、浅草海禅寺に葬る。 |