ビューア該当ページ

小倉藩 六代 小笠原 忠固

1286 ~ 1287 / 1391ページ
 ・明和七年(一七七〇)九月四日播州安志で、小笠原長爲の二男として生まれる。母は家女田中氏。
 ・寛政四年(一七九二)元服。
 ・寛政六年(一七九四)小笠原忠苗の養子となる。
 ・寛政七年(一七九五)従五位下に叙せられ、伊予守と称した。
 ・寛政八年(一七九六)六月父忠苗より糾方的伝(二七歳)。
 ・文化六年(一八〇九)忠固遺領を継ぐ。
 ・文化八年(一八一一)朝鮮国信使対州へ来聘し、御使を被り、対馬に渡る。
 ・文化十一年(一八一四)小倉藩家中三百余名が脱走、文化の変(白黒騒動)。
 ・文政四年(一八二一)豊前海宇島築港着手。
 ・天保十四年(一八四三)五月十二日忠固逝去、瑞巌院殿仁沢宗〓大居士、享年七四歳。浅草海禅寺に葬る。