・文化五年(一八〇八) | 十月十二日武蔵国江戸神田で、忠固の次男として生まれる。母は家女神田氏。 |
・文政七年(一八二四) | 十月三日元服。十二月十六日従五位下に叙せられ、伊予守と称した。 |
・天保十三年(一八四二) | 八月十五日父忠固より糾方的伝(三十五歳)。 |
・天保十四年(一八四三) | 忠徴遺領を継ぐ。 |
・弘化二年(一八四五) | 五月藩学思永館に聖像を祀る。布施芳陳上梁文を製す。 |
・安政三年(一八五六) | 五月十二日忠徴逝去、清寛寺殿忠山道徴大居士、享年四九歳。浅草海禅寺に葬る。 |
小倉藩 七代 小笠原 忠徴
・文化五年(一八〇八) | 十月十二日武蔵国江戸神田で、忠固の次男として生まれる。母は家女神田氏。 |
・文政七年(一八二四) | 十月三日元服。十二月十六日従五位下に叙せられ、伊予守と称した。 |
・天保十三年(一八四二) | 八月十五日父忠固より糾方的伝(三十五歳)。 |
・天保十四年(一八四三) | 忠徴遺領を継ぐ。 |
・弘化二年(一八四五) | 五月藩学思永館に聖像を祀る。布施芳陳上梁文を製す。 |
・安政三年(一八五六) | 五月十二日忠徴逝去、清寛寺殿忠山道徴大居士、享年四九歳。浅草海禅寺に葬る。 |