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小倉藩 九代 小笠原 忠幹

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 ・文政十年(一八二七)九月十四日播州安志で、小笠原長武の次男として生まれる。母は家女。
 ・万延元年(一八六〇)十一月六日本家小笠原家を相続し、忠幹遺領を継ぐ。
 ・文久元年(一八六一)十二月十六日従四位下に叙せられ、十二月十九日大膳大夫と改む。
 ・文久二年(一八六二)糾方的伝、師範小笠原数馬長承。
小倉裏浜砲台成就祝、農兵徴用武術稽古、農兵調練。
 ・元治元年(一八六四)八月二十三日左京大夫と改む。
九月幕府より長州征伐の令下る(長州戦争)。
 ・慶応元年(一八六五)九月六日忠幹逝去、忠幹寺殿泰巌義秀大居士、三九歳。豊前国田川郡金田村碧巌寺に葬る。後、広寿山に改葬す。