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 その中学校は、一寸した田舎町から一哩近く離れた山つきにあった。
 十棟ばかりのペンキ塗の校舎の前に、飛行場程の運動場があり、それを囲んで、野兎や雉子の棲んでゐる山林があった。
 『八百の健児』は、嘗て喇叭卒であった一等卒の吹くラッパで、騒々しくなったり静かになったりした。
 この『社会』の八百の人民は、八十パーセント百姓の息子達であった。それから次に官公吏、小商人、地主の順であった。
 こゝでは、親の威光と云ふやうな封建主義は最早大した意義を持ち得なかった。頭脳明晳と云ふ自由競争主義も幅をきかす程度ではなかった。そこで権力を持つものは、実際のところ原始的な力――腕力であったのだ。
 然るに、最近になって、この腕力が、原始的から近代的に変って来る現象が見られるようになった。
 学校当局に何者かゞ命じた所の軍事教練やスポーツ奨励や思想善導等々の忠実な努力があるに係らず、現実はそれとは逆に進行した。
 これは『由々しい』問題であった。
 校長はこれを『単なる流行』だと考へ込んでゐたが、社会科学の研究に『趣味』を持ってゐる若い英語の教師の『前途』を考慮して『特に今回だけは』転任させようとしたのである。
 これは何でも、国語教師と数学教師の密告によるもので、彼が、上級の学生を集めて『不穏な』研究会を毎土曜日の夜開いてゐると云ふのであった。
 校長の宣告は、若い教師の義憤を駈り立てた。彼の若い血が泡立った。彼は猛然な勢で校長に食ってかゝった。『学問の自由の為めなら、一身を賭しても戦ふ!』と云ふ風に。
 思ひ切って意気地のない中学校教師の中にも、こんな人々がいくらか居るには居るのである。
 この顛末は、忽ち学生達の間に伝った。
 その研究会メムバーは七名に過ぎなかったが、この七名は、三年生以上の学生を大衆運動に動員する勢力を持ってゐた。『不穏な』空気が流れ始めた。
 これはまったく新しい現象であった。
 『○――先生転任絶対反対!』
 『陰険なる国語教師を遂出せ!』
 これがそのスローガンであった。
 事は『単なる流行』に過ぎないに係らず、校長は突き出された嘆願書に跳上った。彼は顔色を変へて身自ら学生達の間を駆け廻った。彼の後から学生達の無気味な鯨波が起った。彼は声涙共に下る底の演説で、彼自身の地位や名誉の為めではなく、『光輝ある××[豊津]中学校の為めに』狂奔した。『出来るだけ早く!でないと世間に知れ渡る!』これが、校長を駆り立てた。
 結局、事は、国語教師を逐出さぬ代りに○――先生も転任させぬと云ふ条件で鎮ったのである。
 噂によると、校長は、他人事ならぬ自分が、出来るだけ早くこんな危険な中学校から転任しようと運動してゐるさうであった。又、抜け目のない田舎新聞の記者から、校長がしこたま搾られてゐると云ふ話もあった。
 研究会は、この事があって以来、○――先生の注意から全く『潜行的』に開かれることになった。
 『潜行的』――これは随分中学生達の気に入った。そして、つひ最近に起った椿事まで、研究会は熱心に続けられたのである。