田丸賢太郎は、四年生で、研究会のメムバーであった。
彼は無口な美しい少年で、鳥のやうに丸い眼は読書の為めに強い近眼であった。彼が議論を初めると、怖しく早口で吃った。手を無闇に振り血眼になった。彼は激情家だった。
彼には両親がなかった。彼の世話をしてゐるのは、殆ど親戚とも云へぬ程の親戚の地主であった。この地主は同時に近在の百姓相手の金貸でもあった。
この男の不評判は、彼が狼見たいに痩せてゐることや女癖の悪い事等と共に、近在に聞えてゐた。(一体に村の金持がひどく痩せてゐるのは不思議な程である。)彼の薄菊目(あばた)のある顔は、まるで指で消したやうに不鮮明で汚い。
村の人々は、彼の二度目の妻は(気が変になって死んだが)、彼が手をかけて殺したも同然だと云ってゐる。
村の消防出動式の時に、消防夫達が手押ポンプで彼の屋敷に水を注ぎかけて座敷を水浸しにしたこともあった。夜、土橋の上から小川の中に突き落されたり、甚だ尾籠ながら、玄関に汚いものをしこたまぶち撒かれたこともあった。
彼が高い石垣を築いて厳しい門を構え、その上に枳殻の生垣で囲った屋敷を建てたに就いては、外献を防ぐ城塞の必要からでもあったのだ。
中学生は自らの保護者の一切を耻ぢてゐた。彼は村中の者が絶えず自分を棘のある眼で見てゐるやうに感じた。
彼は保護者を侮蔑し憎んだ。そして自分の『不幸な運命』に就いて考えた。
彼は無口になり、読書家になり近眼になった。
彼は保護者と出来るだけ顔を会はさぬよう、口をきかぬようにと努めた。口をきくやうな場合、きっと彼等の意見は衝突した。
三年生になるまで、賢太郎は保護者の命令を一つとしてたがえた事はなかった。
三年生の中頃になると、中学生は理屈で地主を凹ませた。地主は殴った。思ひ切り殴った。中学生は保護者の眼を見ながら冷笑を浮べた。
四年生になって直ぐであった。中学生は、殴りかゝった保護者の腕を、楽にねぢ上げることができた。
「貴様は俺をどうしようと云ふのだ!」と地主は叫んだ。「放せ!手を放さぬか!この恩知らず!」
中学生は、放さうか、それとも放すまいかに迷った。彼の心には滅茶苦茶な混乱があった。
その手は、たとひ、不評判であらうと彼の保護者の手だと彼は思った。
『俺は義理の親の手をねぢってゐる――』
彼は胸の中で呟いた。
『親だらうとなんだらうと・・・・・・畜生!』
と次の瞬間には思った。
彼は堪えられぬ憂鬱に攻めせれた。頭は、権利を主張した。胸は怖しい背徳を感じて震えた。憎悪と畏れとが闘った。
彼は黙り込んだまゝ動かなかった。そして相手の手を一層ねぢ上げたり又ゆるめたりした。二つの良心が彼の心の中に存在するやうにさへ見えた。