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 この事があって間もなく、中学生は中学校の近くの村に下宿することになった。
 保護者は、嘗ては中学生の下宿し度いと云ふ希望を容れなかった。下宿するより、自転車で通学する方が安く上がるからであった。が、今度はそれを許した。そして、自転車を隣村の荒物屋に売払って終った。
 のみならず、地主にとっては、厄介払ひでもあったのだ。
 中学生が、下宿に行ったその翌日から、地主は怪しげな町の女を屋敷に連れて来た。三味線の音が、高い石垣の上の屋敷から聞こえるようになった。中学生は、そのことを聞かされた時、何故だかパッと真赧な顔をした。がすぐに蒼白になって、脇に挟んでゐた教科書の包みを地べたにぶっつけた。
 「あんな奴のこと――俺が知るものか!」
 と彼はひどく吃って喚いた。そして急にさめざめと泣き出したのである。
 地主は、月々使を立てて金を中学生に送って来た。それは、中学生にとっても好都合であった。只だ、使ひの者が、耻づべき保護者の生活を彼に伝へるのが、苦痛でならなかった。彼は、使ひの来さうな頃になると、下宿(苗木や連成栽培をしてゐる家であった)の女将さんに金を受け取って呉れるように頼んで、友人の家や林の中で時間を過ごすのであった。
 彼は殆ど隔日に、○――先生の家へ出掛けた。彼は沢山の書物を読んだ。
 研究会のメムバーは七名であったが、そのうちの一人は町の教会の牧師の息子であった。そして後五名のものは皆百姓の息子達であったのだ。
 牧師の息子浅原は矢張り賢太郎と同じ四年生であった。彼は始終病気をしてゐたが、頭がよく、いくらか『不良』で喧嘩早やい男だった。彼は学生達の間で人気があった。
 浅原は、どう云ふ訳か、賢太郎が好きであった。研究会のメムバーに賢太郎が加はったのも、浅原の勧めが与って力があった。
 賢太郎は、しかし浅原を好きになれなかった。無気味な気さへした。何故だか彼にも判らなかった。
 「どーせ、僕は早や死にをするんだからなア――」
 浅原はよくこんな事を賢太郎に云った。
 「太(で)かい仕事をして死ぬよ。」
 どんな事をするかそれは判らないが、『太(で)かい仕事』を、この男はするだらう、と云ふやうな気が賢太郎はした。
 「併し、・・・・・・」と賢太郎は彼に云った。「そんなことは、誰にも云っちゃいけない。」
 「ほんとだ。」と浅原は素直ほに答へた。
 「君は正しいよ。だが、賢ちゃん(浅原はさう呼んだ)僕はな、実際、弱い男なんだよ。さう見えないか?実際、僕の意志は薄弱だ。」
 「君は、思った通りのことをやってゐるぢゃないか・・・・・・。」と賢太郎は云った。
 「思った通り?さうぢゃない。思ったより以上のことを、僕はやって終ふんだ。それと云うのが、僕が弱いからだ。耶蘇教の神様が僕にアまアだ魅いてゐる。僕は何かを為ようと思ふ。すると神様がひょいとユダヤ人みたいな鉤鼻を出す。僕はその鉤鼻が出るまえに、急いで何でもやっ終ふか、やらずにはゐられないようにして終ふんだ。」
 又或る時、浅原は賢太郎に云った。
 「僕ア、つくづくこの世が厭やになった――。」
 「どうして?」
 「何だって、僕は、牧師の親父なんてものを持ったのだらうなア・・・・・・、あゝあゝ、何だか滅茶苦茶に厭やだよ!」
 賢太郎は我身のうちにぞっと寒さを感じた。