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 ○――先生の転任問題が起って、研究会のメムバーは、浅原のさいはいで活動した。
 浅原は、若し、校長が要求を容れなかった暁には、ぶん殴ってやるといきまいたものである。彼は学生代表として直接校長にあたった。それから、軍事教練の大尉の指金で妄動した反動的な上級の学生に決闘を申込んで凹ませたのも彼であった。
 ○――先生留任運動は功を奏した。
 校長が、極力外部へ洩れるのを怖れたに係らず、次第に、その噂は広まって行った。しかしもう済んだことであったし、事が同盟休校に至らずに終ったので、次第に噂も下火になった。
 浅原は、賢太郎の下宿にやって来て云った。
 「面白かったなア・・・・・・。又静かになっちまひやがった。又何かないかなア。君も矢張りしばらくおとなしくして居ようと思ふかい?」
 賢太郎も、何か起って呉れゝばいゝと思ってゐたのだが、浅原がさう云ったので反対した。自分の心の満足の為めにやってはいけない。それは個人主義だ――云々。
 「君は、正直でないなア・・・・・・。」と浅原は云った。「僕等は、ざっくばらんに話をしようぢゃないか。併し君の言葉はそれア正しいよ。」
 そして、彼は暫くの間ひっくら返へって天井を見てゐたが、はね起きると、賢太郎に腕押しをしようと云った。賢太郎の方が遙かに強かった。
 腕力のまるで弱い浅原が、どうしてあんなに乱暴に振舞へるかを、賢太郎はいぶかった。
 「君の方が強いや――。」
 浅原は大声で笑った。そして云った。
 「君は花牘(はな)をやれるかい?」
 「花牘?やれないよ」
 「ぢやトランプは?」
 「知らないね。」
 「そんなら碁(ご)はどうだ?」
 「一たい、君にはそんなものがやれるのかい?」
 「碁はほんのちょっとしか知らない。君、将棋ならやれるだらう?」
 「知ってると云ふ程ぢゃないよ。」
  「将棋と云ふ奴は、あれア封建的な遊戯だね。」
 「どうして?」
 「あーア」と浅原は欠伸をしながら云った。「○――先生ン所へ行ってみないか?どうしてか、僕は近頃体の調子がおかしいんだよ。僕のオルガ二ズムは滅茶らしいや。牧師の野郎、子なんぞ産まなきゃよかったなア・・・・・・。厭やになっちまはア!」
 「君の親父と君はうまくいってるのかい?」と賢太郎は訊ねた。
 「うまくいく筈はあるまいさ。」浅原は横になって頬杖をつきながら云った。「牧師の野郎、天に居る鉤鼻の旦那に、僕のことを始終告口してゐるら〈し〉いよ。所が、旦那はおいそれと僕を牧師のお気に召すようにしないもんだから、ちょいちょい闘争が起るね。――おや、君はなんでそんな顔をしたんだ。君は実際陰気だよ。哲学者見たいに。」
 「僕は僕を小さい頃引き取って呉れた地主のことを考へてゐるんだ。」
 「地主のことを?馬鹿な!止せ、止せ!そのうちに奴等死んぢまわよ。」と浅原は云った。そして急に立上ってバンドを締め代えた。「余計な奴等皆死ん終へ!僕等の時代が早く来ないもんかなア!人間の寿命が二十五年位で片がつくのだったらどんなに愉快だらう。さう思はないかね?一日が二十四時間もある必要はない。十時間もあれア結構だと云ふ風に思はないかい?」
 「どうして君はそんなに今日は焦々してゐるんだね?」
 賢太郎は、それに気がついて云った。顔色もひどく悪かったのを、賢太郎は後になって思ひ出した。
 その翌日から、浅原は学校にやって来なかった。
 彼が重い病気で床に就いてゐるのを聞いて、賢太郎は見舞に行かうと思った。