賢太郎は先生と別れて下宿に帰る途すがら昂奮したりひどく冷静にあったりした。
先生の言葉は彼の身の上に迫ってゐる或る重大な問題を予告するものだと感じた。想像の中に漠然と存在した憎むべき××[支配]階級とその番人達が、想像ではなく現実に彼の前に現れて来るのだと思われた。
彼は、そう云ふ経験を現にしてゐる先輩達のことを想って、その場合、彼等が為たことを考へた。
彼は、同志達に逢ひ度いと思った。そして、若し、浅原だったらどう云ふ態度を執るだらうかを考へた。
『浅原は、肺病で寝てゐる・・・・・・。』
これは、彼を心細くした。
『明日打会せをしよう』と先生が云った。さうだ、十分打会せをして置く必要があると彼は思った。
下宿に帰って見ると、保護者からの使の者が来てゐた。そして、賢太郎に、すぐ山の家へ帰れと云ふ命令を伝へた。
「何事だか知らねえだよ。」と使の者は云った。「さう旦那が云はしたゞ。すぐ帰れとな。」
日の入る前に賢太郎は地主の家に着いた。黒光のする靴が玄関にあった。客があるのだなと思った。
「賢太郎!」と保護者は座敷から息子〈を〉呼んだ。「すぐ此処へ来い!」
客は中学校の校長であった。
「お前は、何をした!」と地主は叫んだ。
「ままァ、さう云ふ風になさってはいかん・・・・・・。」と校長が云った。「静かに話をしましよう。今日の若い者はどうしてどうして相当の考へがありますからね。」
「私は、その考へと云ふのが気に食はんです。」と保護者は云った。「未だほんの若僧の癖に何の考へがあるものですか。お前は、どう云ふ訳で、耶蘇坊主の息子なぞと一緒に大それたことをした。いやしくも師に対して反抗するとは――、お前を俺は今日まで世話したが、今日限り、貴様を中学に入れて置けぬからさう思へ!」
「さう云ふ風に云われると、私(わし)が甚だ立場に困る。」と校長は地主をさへぎった。「何も賢太郎君が主謀者と云ふのぢゃないんだから。私(わし)はね賢太郎君、もう事件は幸未然に済んだとするから何も今更ら云ふ必要はないんだが、君達の前途を考へると二三話して置き度いてともないぢゃない。SやH達から大抵君達のやってゐることは聞いたし、私も職責上それ位のことは知って居った。何しろ君達は卒業前だし男子としても大事な時期だからね、一つ十分この際、さう云ふ危険な――さう、まア、つまりつきつめて考へれば確かに我が××[国体]と相容れぬ思想をすっぱりと捨てゝ、いや勿論、さう云ふ外来の思想を研究するのはそれは結構だが、それには、先づみっちり基礎的な学問をした上でやるがいゝ。ね、赤ン坊には書物は読めぬ、成長して先づ文字を覚えねばならぬ。何も君が赤ん坊だと云ふのぢゃない。つまりこれアたとへだ。これと同じことで・・・・・・」
後に判った事であるが、校長は、そんな説教をしにやって来たのではなかった。中学の同窓生ではあったが特別に個人的な交際をしてゐなかった賢太郎の保護者を、彼が訪問したのは、すこぶる性の悪い三つの田舎新聞の嚇し文句に震え上ったからである。各社が百円の寄附を、各々校長に要求した。ストライキが起きかけたあの時には、夫々相当の口止料が払ってあった。それにもう三カ月も経った今日、そんな云ひ掛りを持ち込まれる訳はなかった。まがふ方なく恐喝であった。何故校長はそれを察知すなり『その条』に訴え出るなりしないんだ?――殆ど公然の秘密で、英語教師に『社会科学研究会』を開かせてゐる。何たることだ!教育者、殊に校長として無責任にも甚だしい。これは確かに問題になり得る性質のものであった。が、そればかりではないらしい。噂によると、校長にとつては社会的な曰くを新聞記者に握られてゐると云ふのであった。
三百円――。ぼろ糞新聞にそっくりやって終ふ金だと思ふと校長は寿命の短まる思ひがした。彼は、賢太郎の保護者を思い出した。あの男にしても若し『研究会』事件が暴露したら名誉を傷つけられるに相違ないのだから、当然いくらか持つべきだ。
所が、地主で金貸の同窓生は、三百円が十円でも名誉の為めなら出す必要を認めなかった。彼には元々名誉なるものがなかったから。自分が育てた子が中学を退校させられるかも知れない?それは至極結構な機会だ。彼は使を立て、中学生を早速呼び帰へして終ったのである。
校長が永々と説教する間賢太郎は、明日はどうしても○――先生の所に集って、『打会せをして置かねばならぬ』ことばかりを考へてゐた。