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私たちの祖先

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人類の祖先は、約五〇〇万年前にアフリカで誕生したと言われる。その頃の人類は、身体も脳の容量も小さく、現在の私たちとは大分体型が異なっていたようであるが、二本の足で立った生活をしていたことは間違いない。
 化石人骨の研究や遺伝子の研究から、現在の人類は約一五〇万年前にアフリカから他の大陸へと拡散した原人がそれぞれの地域で旧人、新人へと進化したという考えと、全世界に拡散した原人たちとは直接関係することなく、アフリカで二〇~一〇万年前に誕生した新人が再度全世界へと拡散を果たし、他地域の旧人たちと入れ替わったという説がある。前者は系統図の形から「燭台(しょくだい)モデル」(多地域進化説)と呼ばれ、後者は「ノアの方舟(はこぶね)モデル」(アフリカ起源説)と呼ばれている。この二つのモデルに対し新しく拡散してきた新人たちとそれぞれの地域の旧人たちが混血して、現在の我々の地域性が生まれたという中間的モデルも出ている。

1-1 人類の進化 (馬場悠男1995 再トレース)

 しかし、最近の研究ではアウストラロピテクス(猿人)からホモ(ヒト)属への進化の過程で、幾つもの種が誕生しては次々と滅びていた事実が明らかになってきている。そして、私たちの直接の祖先は、約二〇~一〇万年前にアフリカ大陸で誕生した種で、ホモ・サピエンスと呼ばれる新人であったこともまた判明してきたのである。
 その昔、アフリカの森から草原に出ることで誕生した人類の祖先は、活動の場を全世界へと広げ、今や地球上のあらゆる地域で生活を営むに至っている。こうした人類のアフリカからの出立は、旧約聖書の「出エジプト記」にちなんで「アウト・オブ・アフリカ」と呼ばれている。
 第一次の「アウト・オブ・アフリカ」は、約一五〇万年前の出来事で、出立したのは原人段階のホモ属である。アジアでは北京原人やジャワ原人が著名であるが、彼らがはるばると日本列島にまで足をのばしていたのかどうかに今後の関心が集まっている。
 第二次の「アウト・オブ・アフリカ」は、約一〇万年前の出来事で、私たちの直接の祖先である新人がその担い手である。彼らは、日本列島はもとより、北はシベリアやベーリング海峡を渡りアメリカ大陸へと達し、南はオセアニアから太平洋諸島へと、地球上のありとあらゆる地域へと生活の場を広げたのである。そして今や宇宙にまでその活動の場を広げようとしているのである。

1-2 アウト・オブ・アフリカ
(河合信和1999 再トレース一部変更)