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弓と矢と獲物

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1-19 前原遺跡出土石鏃

石鏃とは、矢の先端に装着される「矢じり」であり、弓と不可分の関係にある。人の力で投げる槍とは異なり、遠くから獲物をしとめるための「飛び道具」なのである。前原遺跡では九八点もの石鏃が出土している。これらの石鏃は形状等で幾つかのタイプに分けられる。①剥片(はくへん)を利用し表裏の一部を加工・整形したもの、②基部が丸みを持ったもの、③非常に薄手の素材を加工したもの、④無茎(むけい)のもので、基部が平らなもの、凹みをもつものの二種があり、前原遺跡から出土した石鏃の大部分はこのタイプ、⑤鍬形(くわがた)をしたもの、⑥有茎(ゆうけい)の尖頭器状をしたもの、の六タイプである。これらのうち、①、②、⑥は古いタイプであり、土器の出現期、尖頭器と同時期の所産である。⑤も比較的古い段階の石鏃と考えられている。他の大部分は、縄文時代早期の撚糸文(よりいともん)土器に伴うであろう。石鏃の素材は、黒曜石(こくようせき)、チャート、頁岩(けつがん)が一般的であるが、前原遺跡では黒曜石が三点、頁岩が二点で、残りはすべてチャート製であった。宮代町周辺では、縄文時代を通じてこのチャートと呼ばれる水成岩質の素材を用いた石鏃が圧倒的に多い。おそらく栃木県等がその供給地と考えられる。大きさでは、幅一~二センチ、長さ一~三センチ以内におおむね集中しており、幅、長さとも四センチを超えるものはない。重さは〇・一グラムから三・一グラム以上のものまでで若干幅があるが、大半は一グラム以内であり、二グラム以上は非常に少ない。最小のもので長さ一・一センチ、幅〇・九センチ、厚さ〇・二ミリ、重さ〇・三グラムを測り、最大で、長さ三・七センチ、幅二・三センチ、厚さ〇・四センチ、重さ二グラムを測る。軽いもので〇・二グラム、重いもので三・六グラムを測り、その差は二・四グラムもあり、ひとくちに石鏃とはいっても、狩猟対象動物にもよるのであろうが、かなりの幅があることが分かる。町内で発見された石鏃で最も大きいものは、平成五年(一九九三)に発掘調査が行われた山崎南遺跡から出土した長さ四・四センチ、幅三・五センチ、厚さ一・三四センチ、重さ一七・四グラムを測るチャート製の石鏃がある。非常に分厚い大型の石鏃である。いったい何を射たのであろうか。
 一方、矢を飛ばすための弓はその材質が木製品等であるために、腐食してしまいなかなか発見されることはない。県内では、少し時代は新しくなるが、さいたま市寿能泥炭層(じゅのうでいたんそう)遺跡等で知られている。寿能泥炭層遺跡では、縄文時代中期から後期初頭の、長さ一一五センチほどの小型の飾り弓や、後期中葉の長さ一一〇センチから約一五〇センチのイヌガヤ製の丸木弓、縄文時代晩期の長さ約一六三センチを測る同じくイヌガヤ製の丸木弓などが発掘されている。また、伊奈氏屋敷跡遺跡からは長さ八〇センチほどの丸木弓が出土している。福井県鳥浜貝塚等では長さ三〇~四〇センチほどの小型弓も発見されている。このように、弓の大きさも長い弓から短い弓まで、多様な形態が知られており、それにあった石鏃が用いられていたようである。イノシシの骨に石鏃が刺さった例も発見されており、そうした獣の狩猟道具として使われたことは間違いない。
 落葉広葉樹の生い茂る森の中に生息するイノシシやシカなどの敏捷性(びんしょうせい)に優れた動物を狩るには、遠くから木々の間をぬって正確に射る弓矢が最も有効であった。おそらく前原遺跡等で見た石鏃の様々な大きさの違いは、捕獲の対象とする動物の違いと見てよい。イノシシやシカは比較的大きな石鏃を、ウサギやタヌキなどの小動物には比較的小さなものを、さらにガン、カモなどの鳥も、時には漁労用具として魚も石鏃を使用して捕獲したこともあったのではないだろうか。
 石鏃は、縄文時代の主要な狩猟道具としてほぼ一万年の間用いられたのであった。縄文時代の弓矢は戦争のためではなく、縄文人たちの食生活を支えるための貴重な道具だったのである。