海水面の変動現象は、まさに寄せ来る波のように、上昇と下降を繰り返しながら進行し、日本列島が最も温暖化したといわれる、今からおよそ六〇〇〇~五〇〇〇年前に当たる、縄文時代前期の中ごろに最高潮を迎えるに至る。縄文人の生活環境に大きな変化をもたらしたであろう、この海水面の変動現象を縄文海進と呼んでいる。
当時の海水面は現在よりも二~三メートルほど高かったと推定されており、現在の埼玉県周辺では、中川低地や荒川流域にそって内陸深くまで海が入り込み、奥東京湾と呼ばれる内湾が形成されていた。特に、古利根川を含む中川流域の海進は大規模なもので、現在の栃木県藤岡町付近にまで及んでいたと考えられている。
1-21 海岸線の推定図
埼玉県内に残された貝塚には二つの時間的ピークがあり、一つはこの縄文海進最盛期に位置付けられる縄文時代前期に形成されたもので、杉戸町の目沼貝塚や木津内(きづうち)貝塚、蓮田市黒浜貝塚群、関山(せきやま)貝塚などがこれに当たる。もう一つは今からおよそ三〇〇〇年前の縄文時代後期である。岩槻市真福寺(しんぷくじ)貝塚や庄和町神明(しんめい)貝塚、松伏町栄光院(えいこういん)貝塚などが挙げられる。宮代町内に残されている唯一の貝塚である西光院(さいこういん)貝塚は、このころ形成された貝塚であることが知られている。