その前に弥生時代や弥生文化について、少し説明しておく。弥生時代や弥生文化というと、まず「稲作の始まり」を連想する人が多いのではないだろうか。稲作に関連する遺跡・遺物としては、①水田跡、②水田に水を引くための水路跡や堰などの諸施設、③農具や農具を製作するための工具などがある。中でも大陸系磨製石器とされる扁平片刃石斧(へんぺいかたばせきふ)・太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)・抉入片刃石斧(えぐりいりかたばせきふ)や石包丁(いしぼうちょう)などは特徴的な石器として良く知られている。北部九州から近畿地方にかけての弥生時代前期(約二五〇〇~二二〇〇年前)の遺跡からは、こうした稲作に関する遺構や遺物類は数多く確認されている。しかし、最近ではさらにさかのぼって、縄文時代晩期後半から晩期終末(約二七〇〇~二五〇〇年前)の遺跡においても稲作関連の遺構・遺物が徐々に散見されるようになってきている。中でも水田跡の発見は「稲作の始まり」や「弥生時代の始まり」をより古く見直すべきではないかとする意見を生んだ。一例をあげれば、今のところ日本最古の水田跡が発見されたのは佐賀県唐津市菜畑(なばたけ)遺跡であるが、この遺跡は縄文時代晩期後半の北部九州の縄文時代の土器編年でいう山ノ寺式の時期に当たることから、この山ノ寺式の時期から縄文時代晩期終末の夜臼式の時期までを「弥生時代早期」と呼ぼうとする意見などである。
1-42 大陸系磨製石器と木製農具
(『新編埼玉県史 通史編1』より転載)
なお、縄文時代晩期から弥生時代前期の水田跡は海岸沿いに多く、中期前半(約二二〇〇~二〇〇〇年前)までの間に北部九州から本州最北端の青森まで広がることが知られている。一方、内陸部では全体的にやや遅れて弥生時代中期前半以降に広がっていく傾向があると見られるようである。